和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

絵手紙。

2010-01-23 | 手紙
daily‐sumus氏のブログ。その1月20日に小林勇著「娘への絵手紙」(アートデイズ)を紹介しておりました。そのページが写真入りでブログに掲載されている。普通は、こういう本を買わないようにしているのですが、魔がさして買うことにしました。ちなみに、ブログでの紹介文が決め手。

「『小林勇 娘への絵手紙』(アートデイズ、一九九七年一一月一〇日、装丁=山本ミノ)。小林勇の絵手紙集。娘夫婦へ一九六五〜六六年(丙午)にかけて一年二ヶ月の間に百二十枚送ったもので、そのうちの六十二枚を収録する。当時小林は六十二、三歳、岩波書店会長の職にあった。

三十九歳で絵を始めたというから、仕事の合間を見ては、二十五年ほども描き続けていた時期のものである。生前は文春画廊、吉井画廊などで個展を重ねていた。没後も吉井画廊で何度か展覧会が開かれ、何年か前に小生も展示を見た記憶がある。絵のセンスはまちがいなく持っていた。もし最初から画家を目指していたら一派を立てただろう。・・・」

とありました。古本で注文。今日届く。最初に青木玉さんの「小林さんの絵手紙」という3ページの文あり。最後には小松美沙子さんの「父の絵手紙」という15ページの文あり。

私事。手紙を書かずに、関連本を買うのは、ちょっとどうかなあ。
とは思うのですが、とりあえず、ページをパラパラとめくってます。
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並々ならぬ手腕。

2010-01-23 | 短文紹介
外山滋比古氏の本を少しずつ読み始めて、
外山滋比古著「少年記」(展望社)をひらいていたら、
「住んでいた町の寺津には・・」(p63)とある。

ああそうだ、と思って遅まきながらネット検索してみました。
Wikipediaの外山滋比古の項目が簡潔にして、明解。
出版された本の紹介も丁寧。以下、そこにある略歴。

1923年 愛知県幡豆郡寺津町(現西尾市)生まれ。旧制愛知県第八中学校(現愛知県立刈谷高等学校)を経て、
1947年 東京文理科大学(現筑波大学)文学部英文学科卒業
1951年 『英語青年』編集長(約10年間務める)
1956年 東京教育大学助教授
1962年 『修辞的残像』で文学博士(東京教育大学)
1968年 お茶の水女子大学教授 (うち5年間はお茶の水女子大学附属幼稚園長も兼ねる)
1989年 昭和女子大学教授
現在 お茶の水女子大学名誉教授




それから、ネットでは松岡正剛の千夜千冊にも
外山滋比古著「省略の文学」が取り上げられておりました。
そこから、ちょっと引用。

「・・ぼくが外山をぽつりぽつりと読んできたのは、この推理を勝手にたのしむためだったかもしれない。そういう読み方で本が読めるのは、読書の快楽のひとつであり、そういう読書を許容するような書き方ができるというのは、著者の並々ならぬ手腕なのである。」

う~ん。「並々ならぬ手腕」を読んでいるわけで、
こりゃ、襟を正して、外山滋比古を読みましょう。

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