和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

元旦新聞。

2010-01-03 | 前書・後書。
3日になったら、新聞が配達されてきました。
うん。ちょっとね。それより産経新聞1月1日の正論欄。
新保祐司氏の文が印象に残ります。
はじめの方に、
「後世から振り返れば、今日の大方の日本人が思っているよりもはるかに深刻な『国難』の中にある現政権下の日本の行末を憂える・・・」
真ん中を端折って最後は

「小林秀雄は『戦争と平和』と題した戦時中の文章の中で、トルストイが『戦争と平和』を執筆したときに、その剛毅な心が洞察したことは、戦争と平和とは同じものだ、という恐ろしい思想ではなかったか、と書いた。『戦争と平和とは同じものである』ならば、今日の一見、『平和』に見える日本も実は、底流において一種の『戦争』の中にあるのである。『国民』たる者の一人一人が、それぞれの仕事の場において、日本が日本である精神的価値を守るために戦わなくてはならない。吉田松陰は死を前にした書簡の中で『くれぐれも人を哀しまんよりは、自ら勤むること肝要に御座候』と書いた。『祖国』の防衛のために、『自ら勤』めなくてはならない。そういう年が、いよいよ始まったのである。」

ところで、
小林秀雄の「戦争と平和」という文が気になりました。
それは

「正月元旦の朝、僕は、帝国海軍真珠湾爆撃の写真が新聞に載っているのを眺めていた。」とはじまっておりました。
その文の最後は

「・・・トルストイが、『戦争と平和』を書いた時に彼の剛毅な心が洞察したぎりぎりのものではなかったか。戦争と平和とは同じものだ、という恐ろしい思想ではなかったか。近代人は、犯罪心理学という様なものを思い付いた伝で、戦争心理学という様な奇妙なものを拵へ上げてしまった。戦は好戦派という様な人間がいるから起こるのではない。人生がもともと戦いだから起るのである。」


平成21年元旦の新聞を開きながら、混迷の行き着く先に、言葉が逆に輝く。その瞬間に立ち会っているのだろう、と思うのでした。
コメント
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