和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

三行の埋草。

2010-01-13 | 短文紹介
同じ外山滋比古氏のエッセイなのに、まるっきり味わいが違って感じられる。
そんな文があったりします。

たとえば、
「昔の人はよく、手紙一本ろくに書けない、といったものだが、いまははがき一本まっとうに書けたら、社会人の教養は身についているとしてよいだろう。」(p16・「大人の言葉づかい」)

この箇所を読んでから、外山滋比古著「文章を書くこころ」(php文庫)を読むと「ピリリと辛い文章」と題した文が気になりました。
以下その引用。


「学校を出て間もなく、月刊『英語青年』という英文学専門雑誌の編集をまかされた。」とはじまっております。以下ポツポツと飛ばしながら引用。

「校正などじきにうまくなるものだ。思いがけない伏兵は埋草であった。」

「あきがはっきりするのは初校が出てきてからである。初校のゲラといっしょに埋草原稿をつけて印刷所へ戻すのだが、時間のゆとりがない。はじめのうちは、たかが三行か、なんだ五行か、と思っていたが、とんだ見当違いであることがわかった。何回下書きをしても、いっこうにうまくきまってくれない。思い切って想を新たにして書き出してみる。すると八行にも十行にもなってしまい、とても五行にはおさまってくれない。やり直し。・・・やがて活字になって出てくるのを見ると、われながら目をおおいたくなる。これはいけないと、削ったり書き足したりするから、ゲラは真っ赤。印刷所がかんかんになっておこるのはわかっているが、これを放っておかれようか。
毎月そういうことを繰り返していて、つくづく短い文章はおそろしいと思うようになった。三行の埋草に、三時間も五時間もかかる。これでは400字詰10枚、15枚の原稿だと気が遠くなるほどの時間になってしまう。そう考えて、原稿恐怖症にかかった。
三行に五時間かかるのなら、10枚の原稿なら何百時間もかかる。そういう小学生の算術は文章には適用できないことに気付くようになったのは何年もしてからである。むしろ長い文章の方が書きやすい。三行だからこそ、五時間もかかって、しかもすこしもうまく行かない。10枚なら五時間もあれば、ゲラ刷りをそれほど赤くしなくてもいいものが書ける。10枚でなく、50枚ならもっと書きやすい。10枚の五倍の時間がかかるとは限らない。そういうことはだれも教えてくれない。経験によって学んだ。ずいぶん恥かしい思いをし、多くの人に迷惑をかけて体得した。自分にとってはまことに貴重な知恵である。
よく、手紙を書くのは面倒だ、と言う人がいる。時間がないから手紙ではなくてはがきにしようと言っている人もある。やはり誤解で、はがきをうまく書く時間があるくらいなら、手紙はりっぱに書けるはず。時間がないからはがきはよして、手紙にしようという方が本当だと思う。」(p15~17)


う~ん。年賀葉書に、時間をかけてしまった方。手紙の方が楽なようです(笑)。
ということで、今年は手紙を書くように心がけます。
コメント
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