昨年。外山滋比古著「思考の整理学」を読んでから、ポッポッと外山氏の本を買っております。小説を読まない私にとっては、有難い人なのでした。そう思って読んでおります。
たとえば、「日本の文章」(講談社学術文庫)に、こうあります。
「漱石や寅彦は、外国語のよくできる学者であったが、何のことかわからないような翻訳的文体とは完全に無縁であった。近代日本の知的散文のひとつの伝統は子規、漱石、寅彦あたりから始まると考えてよいであろう。」(p49)
3人とも俳句でつながっているのが面白い。
こんな箇所もありました。
「日本人は知的散文が心を躍らせるほどおもしろいものであることさえ知らずに一生を終わることが可能である。いかにも大きな不幸というほかない。」(p52)
うん。そうだったのか。
何て、思いながら外山滋比古氏の本をポツリポツリと買っております。
さて、この講談社学術文庫「日本の文章」の解説は富岡多恵子。
では、と期待して注文した旺文社文庫の外山滋比古著「実のある話」。
でも、昨日届いたのですが解説はなし。ハズレでした。残念。
それじゃ、旺文社文庫の「ライフワークの思想」も、ほぼ解説はないだろうと、
注文をとりやめ。
たとえば、「日本の文章」(講談社学術文庫)に、こうあります。
「漱石や寅彦は、外国語のよくできる学者であったが、何のことかわからないような翻訳的文体とは完全に無縁であった。近代日本の知的散文のひとつの伝統は子規、漱石、寅彦あたりから始まると考えてよいであろう。」(p49)
3人とも俳句でつながっているのが面白い。
こんな箇所もありました。
「日本人は知的散文が心を躍らせるほどおもしろいものであることさえ知らずに一生を終わることが可能である。いかにも大きな不幸というほかない。」(p52)
うん。そうだったのか。
何て、思いながら外山滋比古氏の本をポツリポツリと買っております。
さて、この講談社学術文庫「日本の文章」の解説は富岡多恵子。
では、と期待して注文した旺文社文庫の外山滋比古著「実のある話」。
でも、昨日届いたのですが解説はなし。ハズレでした。残念。
それじゃ、旺文社文庫の「ライフワークの思想」も、ほぼ解説はないだろうと、
注文をとりやめ。