益川敏秀氏がノーベル物理学賞を受賞した際に、
その学歴が印象に残っておりました。
愛知県出身。
1962年(昭和37年)名古屋大学理学部卒とあります。
そして、受賞時は、京都産業大教授とありました。
この名古屋大学と京都産業大というのは、
いったい、どういう大学なのだろうと、
漠然と思っておりました。
京都産業大については、
「私が聴いた名講義」(一季出版・平成3年)の
「近藤鉦太郎先生の講義」大野栄一の文が、すんなりと大学の雰囲気をすくい上げておりました(p91~101)。
そして、名古屋大学というのは、
外山滋比古著「コンポジット氏四十年」(展望社)にある
「三河魂」(p33~40)が参考になりました。
と、ここでは引用を省き、備忘録のみ。
その学歴が印象に残っておりました。
愛知県出身。
1962年(昭和37年)名古屋大学理学部卒とあります。
そして、受賞時は、京都産業大教授とありました。
この名古屋大学と京都産業大というのは、
いったい、どういう大学なのだろうと、
漠然と思っておりました。
京都産業大については、
「私が聴いた名講義」(一季出版・平成3年)の
「近藤鉦太郎先生の講義」大野栄一の文が、すんなりと大学の雰囲気をすくい上げておりました(p91~101)。
そして、名古屋大学というのは、
外山滋比古著「コンポジット氏四十年」(展望社)にある
「三河魂」(p33~40)が参考になりました。
と、ここでは引用を省き、備忘録のみ。