和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

はじまり。

2011-08-16 | 短文紹介
新刊・日下公人著「いま、日本が立ち上がるチャンス!」(WAC)。
簡単に読めるので、読みました。

一箇所だけ引用するなら、ここかなあ。

「富士山大噴火の話も十年か二十年に一度は繰り返し出てくる話である。幸いにまだ起こっていないが、自然災害の予測はむずかしい。いくら科学技術が進歩して想定しても、想定外のことは出てくる。
そういう想定外のことについて、昔から人類は何をしてきたかといえば、『そういう予言をするなら、自分を賭けろ』(at your own risk)で、それが資本主義の根本精神である。未来はわからない。未来のことを言うのは、サイコロの『丁』『半』を言うのと同じで、手金を賭けるのがルールである。賭けた人だけに発言権がある。『賭けていない人は黙っていろ』というのが資本主義の根本原理である。
・・・無責任な予測は、いくらされても困る。予測するのであれば、自分の財産か名誉を賭けねばならない。歴史は、そんなことを繰り返してきている。今回、枝野官房長官の放射能被害などについての口癖は『ただちに被害はない・・』であった。これは『いますぐではないが、そのうち被害があるよ』という意味らしいが、【ただちに】のところが如何様にも解釈できる。もし本当に害がないというのなら、官房長官でも原子力安全・保安院の報道官でも、原子力安全委員会でもいいが、責任者が原発事故の危険範囲とされた半径20キロか30キロの圏外ぎりぎりのところで、毎日会見を開けばよかった。
関西電力の会長は毎年孫を連れて美浜へ海水浴に行ったので、それを見て住民は何となく安心したという話がある。」(p57~58)

あと一箇所。

「今回の震災で、政治家も官僚も学者も、そしてマスコミもいかに無責任で無能かということを国民はよくわかった。このことによる大きな変化はいまからはじまる。」(p91)


はじまり。はじまり。
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ゼイタク。

2011-08-16 | 短文紹介
このところ。
私にしては、新刊書の購入が頻繁なのでした。
でも、それでいいや、と思うところがあります。
それを、どういったらよいのやら。

たとえば、加藤秀俊著「独学のすすめ」(文春文庫)。
そこからの引用。

「しかし、『情報洪水』をけしからん、とか、困ったことだ、とかいうのは、ゼイタクというものだ。ちょうど、それは、物資がありあまって、ゆたかな生活をしている状態を非難するのとおなじようなもので、みち足りているから、あるいは、みち足りすぎているから、貧しい状態を想像することができなくなってしまったことの結果なのである。食べるものさえない不満な状態にくらべたら、ゆたかな時代のほうがどれだけ人間にとってしあわせなことかわからない。情報についても、まったくおなじことがいえる。こんにちのように、あふれるばかりの情報にとりまかれているというのは、たしかに困惑をひとに感じさせるけれど、情報が欠乏している社会にくれべれば、情報のゆたかな社会のほうが、ずっといい。情報がゆたかすぎることを、ブツブツいうのは、やめたほうがいい。」(文庫・p82)


「じっさい、社会学者のダンカンは、現代社会における『批評』の役割は、要するにおびただしい量の情報のなかから、よいものとわるいものとをきちっとえらび出し、よいものを、一般の読者につたえることにある、といっている。」(p86)
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