和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

我儘な楽しみ。

2011-08-20 | 詩歌
お盆には、家族全員がそろっての食事。
なかなか、うち揃って食事することもありません。

こうして数日すると、思い浮かぶのが、
橘曙覧の和歌。というわけです。

 たのしみは妻子むつまじくうちつどひ頭ならべて物を食ふ時

 たのしみは家内五たり五たりが風だにひかで在りあへる時


3月11日・東日本大震災の年だからでしょうか。
別の味わいを読みます。
そういえば、
窪田空穂に「橘曙覧の歌」と題する文。それは
「橘曙覧の歌を歌壇一般に紹介したのは故正岡子規である。」
とはじまっておりました。

窪田空穂の「橘曙覧といふ人」には、漢詩との関連を指摘している箇所があり、読み直して、あらためて輝いて見えるのでした。そこも引用。


「『橘曙覧全集』の中には、彼の随筆も収めてある。分量としては多くはないが、内容としては貧しいものではない。その中の歌話の一則に、歌をして漢詩に劣らない物にしなくてはならないといふことを、熱意をもつて言つてゐるものがある。彼のそれを
言つてゐるのは、漢詩にはさまざまの風体があつて、内容も複雑であるが、歌は単調で、変化がない。内容も単純に過ぎると、嘆息をもつて言つてゐるのである。事実、彼の歌には、漢詩の影響が濃厚で、これは新古今などの比ではない。・・・・・彼自身もその性分として、漢詩の面白みは十分に理解してゐたものと思はれる。しかし結局、彼は何よりも歌が好きであつたので、歌をもつて漢詩に打克ち得るもの、よりよき物としなければ虫が納まらなかつたと見える。・・・彼はそれをしたのである。万葉の強さ、新古今の複雑さも、思ふに彼の此の一念によつて捉へられたものではないかと思はれる。
人に対しては思ひ切つて我儘だつた彼は、芸術的にも同じく主我的であつて、他のあらゆる美を面白いとは思ふものの、そのいづれにも屈服することが出来ず、その総てを我が部分として、それを踏み、その上に立たなければ承知が出来なかつたものと思はれる。」(全集第十巻・p432~433)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする