和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

知り合いのおじいちゃん。

2011-08-24 | 短文紹介
上部一馬著「3・11東日本大震災 奇跡の生還」(コスモ21)を、拾い読み。
ちょっと見ただけなのですが、忘れない箇所を。

県立高田病院の近くにある3階建て気仙小学校のこと。

「菅野祥一郎校長は、高田町で用事を終えた頃、この大地震に遭遇した。
『凄い揺れでしたので、学校に戻らねば、と思って、気仙川をまたぐ姉歯橋まで戻ったら、交通規制がかかり、渡れなかったのです。やむなく、もう少し上流にかかる橋を渡って、慌てて学校に戻ったのです。子供たち90人ほどがランドセルを捨て、校庭に上履き姿で先生と避難していました。その時、知り合いのおじいちゃんが【これはデッカイ津波が来るぞォ!】とアドバイスしてくれたので、私はすぐ、山に登れ!、と叫んだのです』校庭には、近隣に住む住民も集まっていて150人から200人くらいにまでふくれ上がっていた。『小5,6年の児童は猛スピードで、アスレチック用に使っていた校庭脇の高台に一目散に逃げたのです。これを見た住民のみなさんも後を追って逃げてくれたのです』しかし、防潮堤を越えた津波の速さは、時速50キロメートルはあった。校庭では逃げ遅れた人や車が呑み込まれていた。阿鼻叫喚、恐ろしい光景が出現した。それは崖を十数メートル上って、一息ついた瞬間のことだった。真っ黒い断崖のような波が、アッという間に校舎の3階まで達した。小学校の体育館からは、2度ほど火柱が上がった。漏電が原因のこの火災は一晩中燃え続けた。・・・・」(p51~53)
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