和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

発句と目次。

2011-08-27 | 他生の縁
 新聞にほつくの熱さ見る日哉  子規

井上泰至著「子規の内なる江戸」(角川学芸出版)のp30に、この句が引用してありました。その前のほうも引用したいのですが、ここでは、関係ないので次いきます。

新聞と発句という取り合わせで、私に思い浮かぶのは、齋藤十一。
ということで、本棚から取り出してきた、
「編集者 齋藤十一」(冬花社)に、こんな箇所。

「美和夫人の話によると、齋藤さんは亡くなり方も凡庸ではない。また亡くなる直前の夢に、御自身が造った新しい雑誌を見たという。目次の内容も明瞭に現れて、夢の中で感動されたらしい。それを書き留めて置かれなかったのが実に残念である。」(p40)

この本の、たとえば石井昴氏の回想文「タイトルがすべて」には

「『売れる本じゃないんだよ、買わせる本を作るんだ』『編集者ほど素晴らしい商売はないじゃないか、いくら金になるからって下等な事はやってくれるなよ』『俺は毎日新しい雑誌の目次を考えているんだ』次から次に熱い思いを我々若輩に語りかけられた。
齋藤さんの一言一言が編集者としての私には血となり肉となった。我田引水になるが、新潮新書の成功は新書に齋藤イズムを取り入れた事によるといっても過言ではない。
『自分の読みたい本を作れ』『タイトルがすべてだ』私はいま呪文のようにそれを唱えている。」(p182)
コメント
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