文藝春秋8月号に、
ドナルド・キーン氏が「なぜ、今『日本国籍』を取得するか」という8ページほどの文を寄稿しておりました。そこに
「現在、ある雑誌で正岡子規についての研究を続けていますが、先日、友人から平賀源内の研究をしないかと提案を受けました。・・・正岡子規の時もそうでしたが、まず、相当な資料を読み込まなければなりません。子規全集25巻を通読しましたが、新たな対象がなんであろうと、どんな視点で執筆すれば良いかと熟考することが欠かせません。この作業段階が仲々大変ですから、新しい研究といっても、すぐに書き始めることにはならないでしょう。・・・」(p158)
と、あります。
もうすぐ、ドナルド・キーン氏の「正岡子規」に関する本が読めるのかなあ。何だかたのしみです。
さてっと、井上泰至著「子規の内なる江戸」(角川学芸出版)が出ており、昨日から読んでおりました。たのしい読書となりました。たとえば、こんな箇所
「 謡(うたい)ヲ談シ俳句ヲ談ス新茶哉 子規
能は子規にとって親しい芸能であった。俳句とともに友とこれを語れば、談論風発、話題は尽きず、気がつけば日頃の鬱懐は晴らされていく。さわやかな、喉を潤す新茶が格好の取り合わせとなっている。
元来能は江戸時代、武家社会にあっては重要な儀式で舞われる『式楽(しきがく)』であり、このため能役者たちが手厚く保護された。町人たちにとっても、特に男が宴席で素謡(すうたい)を披露できる程度の教養は、必須であった。五七五に七七を付け、また五七五を付けてゆく江戸の俳諧にあっては、この言葉の連想を保証するものとして、能の教養が基盤となった。能の文辞(ぶんじ)を引用することもままあった。俳句と能は実に縁浅からぬ関係にあったのだ。
子規の生まれた松山藩は能が盛んで、伯父藤野漸は宝生流の免許皆伝を受け・・・子規の高弟高浜虚子の父池内信夫は、藤野の能の師匠である。・・・」(p54)
ここで、またドナルド・キーン氏の文へともどります。
「今季の講義は、十一人の学生にお能の五つの謡曲を原文で読ませました。まずは一番やさしい『船弁慶』から始め、ついで『班女(はんじょ)』『熊野(ゆや)』『野宮(ののみや)』『松風』と徐々にレベルの高いものを取り上げました。若い学生にとって決して簡単に理解できるものではなく、それぞれが苦労しながらも詩句の美しさにうたれて、深く感動していました。日本の古典文学を心から愛している学生たちですから。」(p158~159)
「私は大学では、お能や近松、芭蕉などの講座を交替で開いて来ましたが、いずれも大好きで、講義で語るうちに自分で興奮してしまうのです。そして、その興奮が学生にも伝染して彼等も興奮する。・・・・私はなるべく美しい古典作品を学生に紹介、伝授することを心がけて来たつもりです。これは元を正せば角田柳作先生の影響です。角田先生はたくさんの参考資料を腕に抱えて教室にやって来て本当に情熱的な授業を展開されました。・・・」(p161)
能といえば、梅原猛・瀬戸内寂聴対談「生ききる。」(角川oneテーマ21)の
第四章「『源氏物語』の新しい読み方、苦難を乗り越えるために」に
こんな箇所がありました。
梅原】 今、お話を聞いていて能『松風』を思い出しました。源氏は明石の上をけっこう大事にしている。ところが能の『松風』の、『源氏』で言えば光源氏に当たる、在原行平は流されて、松風・村雨の姉妹に助けられる。そしてこの美しい海女の姉妹によって生き長らえて、京に帰ってくる。しかし都に戻ったら知らん顔です。そういう勝手な貴族への恨みみたいなものが能の中心にはあると思うんですよ。これは救われない魂。そういう魂がたくさんある。それを成仏させようとする文学が能だと思いますね。
紫式部は、貴族・道長のやり方を批判もしているけどどこかで擁護しとるんです。世阿弥はですから、捨てられた人間の側から哀しみを描く。『源氏』と能は日本文学の大局にありつつ、双璧であると思います。」(p155~156)
ドナルド・キーン氏の書かれた正岡子規が、さて、いつ本になるのやら、今から楽しみ。そういえば、関川夏央著「子規、最後の八年」(講談社)というのが出ているようですが未読。
和歌に痩せ俳句に痩せぬ夏男 子規
ドナルド・キーン氏が「なぜ、今『日本国籍』を取得するか」という8ページほどの文を寄稿しておりました。そこに
「現在、ある雑誌で正岡子規についての研究を続けていますが、先日、友人から平賀源内の研究をしないかと提案を受けました。・・・正岡子規の時もそうでしたが、まず、相当な資料を読み込まなければなりません。子規全集25巻を通読しましたが、新たな対象がなんであろうと、どんな視点で執筆すれば良いかと熟考することが欠かせません。この作業段階が仲々大変ですから、新しい研究といっても、すぐに書き始めることにはならないでしょう。・・・」(p158)
と、あります。
もうすぐ、ドナルド・キーン氏の「正岡子規」に関する本が読めるのかなあ。何だかたのしみです。
さてっと、井上泰至著「子規の内なる江戸」(角川学芸出版)が出ており、昨日から読んでおりました。たのしい読書となりました。たとえば、こんな箇所
「 謡(うたい)ヲ談シ俳句ヲ談ス新茶哉 子規
能は子規にとって親しい芸能であった。俳句とともに友とこれを語れば、談論風発、話題は尽きず、気がつけば日頃の鬱懐は晴らされていく。さわやかな、喉を潤す新茶が格好の取り合わせとなっている。
元来能は江戸時代、武家社会にあっては重要な儀式で舞われる『式楽(しきがく)』であり、このため能役者たちが手厚く保護された。町人たちにとっても、特に男が宴席で素謡(すうたい)を披露できる程度の教養は、必須であった。五七五に七七を付け、また五七五を付けてゆく江戸の俳諧にあっては、この言葉の連想を保証するものとして、能の教養が基盤となった。能の文辞(ぶんじ)を引用することもままあった。俳句と能は実に縁浅からぬ関係にあったのだ。
子規の生まれた松山藩は能が盛んで、伯父藤野漸は宝生流の免許皆伝を受け・・・子規の高弟高浜虚子の父池内信夫は、藤野の能の師匠である。・・・」(p54)
ここで、またドナルド・キーン氏の文へともどります。
「今季の講義は、十一人の学生にお能の五つの謡曲を原文で読ませました。まずは一番やさしい『船弁慶』から始め、ついで『班女(はんじょ)』『熊野(ゆや)』『野宮(ののみや)』『松風』と徐々にレベルの高いものを取り上げました。若い学生にとって決して簡単に理解できるものではなく、それぞれが苦労しながらも詩句の美しさにうたれて、深く感動していました。日本の古典文学を心から愛している学生たちですから。」(p158~159)
「私は大学では、お能や近松、芭蕉などの講座を交替で開いて来ましたが、いずれも大好きで、講義で語るうちに自分で興奮してしまうのです。そして、その興奮が学生にも伝染して彼等も興奮する。・・・・私はなるべく美しい古典作品を学生に紹介、伝授することを心がけて来たつもりです。これは元を正せば角田柳作先生の影響です。角田先生はたくさんの参考資料を腕に抱えて教室にやって来て本当に情熱的な授業を展開されました。・・・」(p161)
能といえば、梅原猛・瀬戸内寂聴対談「生ききる。」(角川oneテーマ21)の
第四章「『源氏物語』の新しい読み方、苦難を乗り越えるために」に
こんな箇所がありました。
梅原】 今、お話を聞いていて能『松風』を思い出しました。源氏は明石の上をけっこう大事にしている。ところが能の『松風』の、『源氏』で言えば光源氏に当たる、在原行平は流されて、松風・村雨の姉妹に助けられる。そしてこの美しい海女の姉妹によって生き長らえて、京に帰ってくる。しかし都に戻ったら知らん顔です。そういう勝手な貴族への恨みみたいなものが能の中心にはあると思うんですよ。これは救われない魂。そういう魂がたくさんある。それを成仏させようとする文学が能だと思いますね。
紫式部は、貴族・道長のやり方を批判もしているけどどこかで擁護しとるんです。世阿弥はですから、捨てられた人間の側から哀しみを描く。『源氏』と能は日本文学の大局にありつつ、双璧であると思います。」(p155~156)
ドナルド・キーン氏の書かれた正岡子規が、さて、いつ本になるのやら、今から楽しみ。そういえば、関川夏央著「子規、最後の八年」(講談社)というのが出ているようですが未読。
和歌に痩せ俳句に痩せぬ夏男 子規