井上泰至著「子規の内なる江戸」(角川学芸出版)の
第1章は「子規と時代」。その章のはじめの、目次のわきに、こうあります。
「子規は俳句を文学にした。俳句の『身分』を上げた、と言いかえてもいい。江戸時代からある、『身分』の高い人のための文学のエッセンスに学んで、国民の文学として誇れるものを産み出していったのである。」
まあ、こんな風にはじまる一冊が面白く。なるほど、なるほどと読めるのでした。
ところで、昨日は、高速バスにて、ソワソワと雑用をすませたあとに、ブリジストン美術館「青木繁展」を見に行く。途中に読めるかと、もっていったのは、岩波文庫「漱石俳句集」。まあ、ほとんど、開かずじまい。その明治32(1899)年に
秋はふみわれに天下の志 漱石
というのがありました。志を俳句に入れるんだなあ。
そういえば、虚子の俳句が思い浮かびます。
と岩波文庫「虚子五句集」(上)をひらいてみます。
ありました。大正2年2月11日 三田俳句会。東京芝浦。
春風や闘志いだきて丘に立つ 虚子
一方は秋、虚子は春風。
「誇れるものを産み出して」いったのでしょうか?
もう少し、漱石俳句を
一大事も糸瓜(へちま)も糞もあらばこそ (明治36年)
蜻蛉(とんぼう)の夢や幾度(いくたび)杭の先 (明治43年)
秋立つや一巻の書の読み残し (大正5年)
美術館では、見残しがあったのじゃないかと、立ち去り難く。ぐるぐると何回も見廻しながらの、行ったり来たり(笑)。
第1章は「子規と時代」。その章のはじめの、目次のわきに、こうあります。
「子規は俳句を文学にした。俳句の『身分』を上げた、と言いかえてもいい。江戸時代からある、『身分』の高い人のための文学のエッセンスに学んで、国民の文学として誇れるものを産み出していったのである。」
まあ、こんな風にはじまる一冊が面白く。なるほど、なるほどと読めるのでした。
ところで、昨日は、高速バスにて、ソワソワと雑用をすませたあとに、ブリジストン美術館「青木繁展」を見に行く。途中に読めるかと、もっていったのは、岩波文庫「漱石俳句集」。まあ、ほとんど、開かずじまい。その明治32(1899)年に
秋はふみわれに天下の志 漱石
というのがありました。志を俳句に入れるんだなあ。
そういえば、虚子の俳句が思い浮かびます。
と岩波文庫「虚子五句集」(上)をひらいてみます。
ありました。大正2年2月11日 三田俳句会。東京芝浦。
春風や闘志いだきて丘に立つ 虚子
一方は秋、虚子は春風。
「誇れるものを産み出して」いったのでしょうか?
もう少し、漱石俳句を
一大事も糸瓜(へちま)も糞もあらばこそ (明治36年)
蜻蛉(とんぼう)の夢や幾度(いくたび)杭の先 (明治43年)
秋立つや一巻の書の読み残し (大正5年)
美術館では、見残しがあったのじゃないかと、立ち去り難く。ぐるぐると何回も見廻しながらの、行ったり来たり(笑)。