和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

俳句の「身分」。

2011-08-30 | 詩歌
井上泰至著「子規の内なる江戸」(角川学芸出版)の
第1章は「子規と時代」。その章のはじめの、目次のわきに、こうあります。

「子規は俳句を文学にした。俳句の『身分』を上げた、と言いかえてもいい。江戸時代からある、『身分』の高い人のための文学のエッセンスに学んで、国民の文学として誇れるものを産み出していったのである。」

まあ、こんな風にはじまる一冊が面白く。なるほど、なるほどと読めるのでした。


ところで、昨日は、高速バスにて、ソワソワと雑用をすませたあとに、ブリジストン美術館「青木繁展」を見に行く。途中に読めるかと、もっていったのは、岩波文庫「漱石俳句集」。まあ、ほとんど、開かずじまい。その明治32(1899)年に

   秋はふみわれに天下の志    漱石

というのがありました。志を俳句に入れるんだなあ。
そういえば、虚子の俳句が思い浮かびます。
と岩波文庫「虚子五句集」(上)をひらいてみます。
ありました。大正2年2月11日 三田俳句会。東京芝浦。

  春風や闘志いだきて丘に立つ   虚子


一方は秋、虚子は春風。
「誇れるものを産み出して」いったのでしょうか?


もう少し、漱石俳句を

 一大事も糸瓜(へちま)も糞もあらばこそ   (明治36年)

 蜻蛉(とんぼう)の夢や幾度(いくたび)杭の先  (明治43年)

 秋立つや一巻の書の読み残し    (大正5年)


美術館では、見残しがあったのじゃないかと、立ち去り難く。ぐるぐると何回も見廻しながらの、行ったり来たり(笑)。
コメント
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