和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「正論」9月号。

2011-08-01 | 短文紹介
8月1日月刊雑誌「正論」発売。
さっそく購入。
私が読んだのは女性の文。ということで、
「復興構想会議の提言を読む」長谷川三千子
「エセ保守史家の系譜 加藤陽子に騙されるな」渡辺望
「凛とした日本人へ」金美齢
「国家は誰のものか」櫻井よしこ
以上4つの文(二番目は男性ですが、取り扱われているのが加藤陽子というので)。

ここでは、
「復興構想会議の提言を読む」を読めてよかった。
とりあえず、引用。

「基本姿勢と完全に矛盾し、対立しているのが、第二章の(8)『復興のための財源確保』の部分である。ここには、日本経済の浮上のための積極的投資、といつた考へが、かけらほども見あたらないのである。・・・・現在日本が置かれてゐるのは、まさに日本経済が再生するかしないかの分岐点なのであり、ここで『生産力の回復』に必要な投資をケチるなら、日本経済全体にとり返しのつかないダメージが生じてしまふ。・・・その意味で、第二章(8)のこの項目は、提言全体のなかでもつとも問題のある部分と言ふべきであらう。そして、それは提言者に危機の認識が欠けてゐると同時に、『復興投資』といふ発想が欠けてゐることのあらはれと言へる。ここでは、復興のための費用が単なる支出としか認識されてゐない。だから、帳簿の上の辻褄合はせだけの話になつてしまひ復興構想になりえてゐないのである。」(p212~213)

「一口に言つて、自ら口にしてゐる『電力の安定供給』の確保といふことが、復興にとつてどれだけ緊急の重要性をもつたことであるかに、全然気付いてゐないのである。そもそも、『くらしとしごとの再生』にとつてかくも重要なテーマを、第二章でなく(また、直接かかはりのある第三章でもなく)第四章に、他の話題とごちやまぜにしてもつてきたといふところにも、提言者の危機意識のうすさがあらはれ出てゐると言へよう。」(p214)

菅直人は、復興会議の提言を待ってから、それから、復興の段取りをつけるのだと、先延ばしにしてたことが思い出されます。


ところで、最近、月刊誌を購入しても、読まないなあ。そこで、気になるのが新聞の時評。
たとえば、産経の7月24日(日曜)。「時評論壇・8月号」を稲垣真澄氏が書いております。興味深いのは、産経新聞の時評なのに、雑誌「正論」について、ちっとも触れていない。うん、こういう文はよいですね。さて、真澄氏は雑誌8月号の、どれを取り上げていたか。

 新潮45 「国の死に方」片山杜秀(もりひで)
中央公論 「梅棹忠夫と3・11」佐倉統(おさむ)
Voice 「フクシマ問題は原子力の危機にあらず」(ジャック・アタリ)
世界   「『黒い海』の記憶」山形孝夫
文藝春秋 「20キロ圏の神社が消える?」斉藤吉久


もどって、「正論」9月号
渡辺望「エセ保守史家の系譜  加藤陽子に騙されるな」。
ここでは、最後の箇所を引用。

「加藤のこの戦略の崩壊を見るにつけ、『教える』というスタイルは、物書きにとっていかに危険なものであるのか、と私はあらためて思う。」(p249)

「チェーホフに『愚者は教えたがり、賢者は学びたがる』という格言がある。賢者であれば、たとえ『教える』という場面にあっても、一方通行的に『教える』のではなく、学びつつ教えるという相互交流を欠かすことはない、という常識を説く言葉であろう。・・・
半藤や保阪は大学の教員ではないことに注意すべきであろう。加藤のみが最高学府の教員として『教える』存在である。そのことへの警鐘は、加藤の論理を批判すること以上に、これからなされていかなければならないことのように思われる。」(p250)

はたして、菅直人から、賢者は何を学ぶか?


コメント
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