うん。臑とは「臑齧り」のスネのこと。
さてっと、週刊誌の記事は
読んでもすぐに、どこにあったのか忘れてしまいます。
ということで、備忘録として書き写しておくしだい。
「週刊文春」8月14日・21日夏の特大号。
その177~178ページ。
植村隆氏の記事です。
「『誤りがあったかも知れませんが
それは彼の長い記者人生のなかでごく一部のこと。
それだけで彼を評価するのはどうかと思います』
いわゆる従軍慰安婦問題の火付け役となった
元朝日新聞記者の植村隆氏を非常勤講師として
迎え入れた札幌市内の大学の学長はそう庇ってみせた。
植村といえば、日本軍人相手に売春行為を
強いられた朝鮮人従軍慰安婦がソウル市内に
生存していることがわかったとする記事を書き、
慰安婦問題の先鞭をつけた記者である。
いまではこの記事に捏造と言えるほどの
重大な誤りがあることが明らかになっているが、
当時はこの記事をきっかけに韓国世論が沸騰し、
日本政府はいわゆる河野談話を発表。
強制連行を認めたとの印象を世界中に与える
事態を招いてしまった。
その植村氏、少誌2月6日号の記事
『慰安婦捏造朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に』
で明らかにしたように、今年3月で朝日を
早期退社し、4月から神戸松蔭女子学院大学で
教授となる、はずであった。
『文春の記事で批判が殺到し、
神戸松蔭女子学院大学側は、
植村さんと結んでいた雇用契約を
3月に解消したのです。すでに
朝日を退職することが決っていた
植村さんはこれに激怒して、解約の
無効を求めて大学を訴えると息巻いて
いました』(朝日新聞関係者)
2月6日号の取材では、植村氏は職場の
朝日新聞函館支局を訪ねた小誌記者から
走って逃げるばかりで、自らの記事について
何ら説明することもなかった。
女子大教授の夢も叶わず、朝日も退社した
植村氏は今、北海道内の大学で非常勤講師
をしているという。
『札幌市内にある私立大学の北星学園大学の
非常勤講師です。慰安婦問題についての記事の
誤りが明らかになり、処遇に困った会社が
彼を北海道の支局で塩漬けにしていた2年前から
講座を受け持つようになったことが縁だそうです』
(同前)
現地で田村信一学長を訪ねて問うたところ、
出たのが冒頭の発言だ。
・ ・・・・」
うん。もう少しあるのだけれど、
全文引用も悪いのでこのくらいにします。
さてっと、週刊誌の記事は
読んでもすぐに、どこにあったのか忘れてしまいます。
ということで、備忘録として書き写しておくしだい。
「週刊文春」8月14日・21日夏の特大号。
その177~178ページ。
植村隆氏の記事です。
「『誤りがあったかも知れませんが
それは彼の長い記者人生のなかでごく一部のこと。
それだけで彼を評価するのはどうかと思います』
いわゆる従軍慰安婦問題の火付け役となった
元朝日新聞記者の植村隆氏を非常勤講師として
迎え入れた札幌市内の大学の学長はそう庇ってみせた。
植村といえば、日本軍人相手に売春行為を
強いられた朝鮮人従軍慰安婦がソウル市内に
生存していることがわかったとする記事を書き、
慰安婦問題の先鞭をつけた記者である。
いまではこの記事に捏造と言えるほどの
重大な誤りがあることが明らかになっているが、
当時はこの記事をきっかけに韓国世論が沸騰し、
日本政府はいわゆる河野談話を発表。
強制連行を認めたとの印象を世界中に与える
事態を招いてしまった。
その植村氏、少誌2月6日号の記事
『慰安婦捏造朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に』
で明らかにしたように、今年3月で朝日を
早期退社し、4月から神戸松蔭女子学院大学で
教授となる、はずであった。
『文春の記事で批判が殺到し、
神戸松蔭女子学院大学側は、
植村さんと結んでいた雇用契約を
3月に解消したのです。すでに
朝日を退職することが決っていた
植村さんはこれに激怒して、解約の
無効を求めて大学を訴えると息巻いて
いました』(朝日新聞関係者)
2月6日号の取材では、植村氏は職場の
朝日新聞函館支局を訪ねた小誌記者から
走って逃げるばかりで、自らの記事について
何ら説明することもなかった。
女子大教授の夢も叶わず、朝日も退社した
植村氏は今、北海道内の大学で非常勤講師
をしているという。
『札幌市内にある私立大学の北星学園大学の
非常勤講師です。慰安婦問題についての記事の
誤りが明らかになり、処遇に困った会社が
彼を北海道の支局で塩漬けにしていた2年前から
講座を受け持つようになったことが縁だそうです』
(同前)
現地で田村信一学長を訪ねて問うたところ、
出たのが冒頭の発言だ。
・ ・・・・」
うん。もう少しあるのだけれど、
全文引用も悪いのでこのくらいにします。