教育勅語
2014-12-23 | 地域
樺島忠夫著「文章作法」(日本経済新聞社)を
なにげなくひらくと、「まえがき」は、このように
はじまっておりました。
「三多ということばがある。
文章上達のためには、多く読み、多く考え、
多く書くことが必要だというのである。
それはそうかもしれない。しかしそれでは
いつになったら文章が書けるようになるのか
大変心細い。文才のない人間は、三多を実行した
としても上達速度が小さいはずだから、
定年近くなってやっとすらすらと文章が書ける
ようになるかもしれない。
それではおそすぎる。・・・・」
うん。「文才のない人間」の
範疇に属する者としては、
この箇所がたのしかった(笑)。
遊び暮して、いよいよ、
「それではおそすぎる」年代に
足を踏み込むこととなった私には、
「やっとすらすらと文章が
書けるようになるかもしれない。」
という言葉に、希望の灯火が、
ともされたような気がしてきます(笑)。
それはそうと、
今年読んだ本で再読をしなきゃと思う本に、
三浦勝也著「近代日本語と文語文」(勉誠出版)が
ありました。その序で教育勅語に触れられております。
「現代の日本人の中でも八十代以上の人なら、
小学校(あるいは国民学校)の修身の時間に、
難解なこの文章を頭から丸呑みに憶えさせられた
ことを記憶しているはずです。式典の日には、
講堂に集められた全校児童の前で校長先生が
恭しく『教育勅語』を奉読します。・・・
その間子どもたちは頭を下げてこれを聴いて
いなければなりません。二月十一日の紀元節
(現在の建国記念の日)などは寒い時期です。
最後に『御名御璽』で奉読が終わると、
講堂のあちこちから子どもたちのハナをすする
音が聞えたというのは、かつて明治生まれの
老婦人から聞いた思い出話です。・・」
これは、序のなかの「教育勅語と唱歌」という
小見出しがある文のはじまりです。
そういえば、昭和2年生まれの方の
短歌に、こんな箇所がありました。
忘れ得ぬ教育勅語を誦んずる
歌友に和して胸のつまり来
吉田美代
うん。私はその教育勅語も未読。
なにげなくひらくと、「まえがき」は、このように
はじまっておりました。
「三多ということばがある。
文章上達のためには、多く読み、多く考え、
多く書くことが必要だというのである。
それはそうかもしれない。しかしそれでは
いつになったら文章が書けるようになるのか
大変心細い。文才のない人間は、三多を実行した
としても上達速度が小さいはずだから、
定年近くなってやっとすらすらと文章が書ける
ようになるかもしれない。
それではおそすぎる。・・・・」
うん。「文才のない人間」の
範疇に属する者としては、
この箇所がたのしかった(笑)。
遊び暮して、いよいよ、
「それではおそすぎる」年代に
足を踏み込むこととなった私には、
「やっとすらすらと文章が
書けるようになるかもしれない。」
という言葉に、希望の灯火が、
ともされたような気がしてきます(笑)。
それはそうと、
今年読んだ本で再読をしなきゃと思う本に、
三浦勝也著「近代日本語と文語文」(勉誠出版)が
ありました。その序で教育勅語に触れられております。
「現代の日本人の中でも八十代以上の人なら、
小学校(あるいは国民学校)の修身の時間に、
難解なこの文章を頭から丸呑みに憶えさせられた
ことを記憶しているはずです。式典の日には、
講堂に集められた全校児童の前で校長先生が
恭しく『教育勅語』を奉読します。・・・
その間子どもたちは頭を下げてこれを聴いて
いなければなりません。二月十一日の紀元節
(現在の建国記念の日)などは寒い時期です。
最後に『御名御璽』で奉読が終わると、
講堂のあちこちから子どもたちのハナをすする
音が聞えたというのは、かつて明治生まれの
老婦人から聞いた思い出話です。・・」
これは、序のなかの「教育勅語と唱歌」という
小見出しがある文のはじまりです。
そういえば、昭和2年生まれの方の
短歌に、こんな箇所がありました。
忘れ得ぬ教育勅語を誦んずる
歌友に和して胸のつまり来
吉田美代
うん。私はその教育勅語も未読。