磯田道史著
「天災から日本史を読みなおす」(中公新書)
に牟岐町編「海が吠えた日」からの引用がある。
その本をネット検索すると簡単に注文できそう。
それでもって、電話してみると、現金書留にて、
本代を送ればよいとのこと。
その本が、昨日届きました。
牟岐(むぎ)町教育委員会
〒775‐0004
徳島県海部郡牟岐町大字川長字新光寺82
℡0884‐72‐0107
郵便書留にて1350円を送金。
うち、本代が1000円。送料が350円。
「南海道地震津波の記録 海が吠えた日」
(平成八年 牟岐町教育委員会発行)
その本の最初に載る
井元初一(84歳)の記録を引用してみます。
「・・・五十年前の冬のそのころ、
私は赤物縄で甘鯛を釣りに行っていました。
四時頃だったでしょうか。大きな揺れでした。
私はひいじいさんから、昔の安政津波の話を
よく聞いていました。『安政の津波で、
海蔵寺へ逃げたが、荷物を取りに家へ帰った
人はみんな流されて死んでしもうた。
大きな地震の後には、必ず津波がくる
よって早よう高い所へ逃げえよ。』
南隣りの今津のおばあさんも起きてきて
外へ出てきました。『津波が来るよって
早よう一緒に逃げんけー』と誘いましたが、
『うちは息子が病気でねよるし、嫁も
大きな腹をしとるんで一緒に逃げれんのや』
というて、家の中へ入りました。
それから私たち一家六人はすぐに逃げました。
・ ・・・・・・
やがて夜が明けて潮も引いていたので、
私一人家に帰ってみました。家は跡かたもなく、
地盤も残っていませんでした。ただ家のあった
所に、チョウナが一本ぽつんと残っていました。
でも家族六人全員が大きいけがもせず無事に
助かって嬉しかった。隣りの今津鉄夫さん一家
九人の家族は逃げることができず、家と共に
流されて七人がなくなりました。
本当に気の毒でした。・・・・・・」
「天災から日本史を読みなおす」(中公新書)
に牟岐町編「海が吠えた日」からの引用がある。
その本をネット検索すると簡単に注文できそう。
それでもって、電話してみると、現金書留にて、
本代を送ればよいとのこと。
その本が、昨日届きました。
牟岐(むぎ)町教育委員会
〒775‐0004
徳島県海部郡牟岐町大字川長字新光寺82
℡0884‐72‐0107
郵便書留にて1350円を送金。
うち、本代が1000円。送料が350円。
「南海道地震津波の記録 海が吠えた日」
(平成八年 牟岐町教育委員会発行)
その本の最初に載る
井元初一(84歳)の記録を引用してみます。
「・・・五十年前の冬のそのころ、
私は赤物縄で甘鯛を釣りに行っていました。
四時頃だったでしょうか。大きな揺れでした。
私はひいじいさんから、昔の安政津波の話を
よく聞いていました。『安政の津波で、
海蔵寺へ逃げたが、荷物を取りに家へ帰った
人はみんな流されて死んでしもうた。
大きな地震の後には、必ず津波がくる
よって早よう高い所へ逃げえよ。』
南隣りの今津のおばあさんも起きてきて
外へ出てきました。『津波が来るよって
早よう一緒に逃げんけー』と誘いましたが、
『うちは息子が病気でねよるし、嫁も
大きな腹をしとるんで一緒に逃げれんのや』
というて、家の中へ入りました。
それから私たち一家六人はすぐに逃げました。
・ ・・・・・・
やがて夜が明けて潮も引いていたので、
私一人家に帰ってみました。家は跡かたもなく、
地盤も残っていませんでした。ただ家のあった
所に、チョウナが一本ぽつんと残っていました。
でも家族六人全員が大きいけがもせず無事に
助かって嬉しかった。隣りの今津鉄夫さん一家
九人の家族は逃げることができず、家と共に
流されて七人がなくなりました。
本当に気の毒でした。・・・・・・」