室谷克実著「朝日新聞『戦時社説』を読む」
(毎日ワンズ)が届いたのでひらく。
「はじめに」には、こうあります。
「・・・戦中の朝日新聞は、
どんな論調を掲げていたのか・・・
彼(毎日ワンズの社長・松藤竹二郎)と、
私(室谷)とは、慶応義塾大学で同じゼミに
学んだ。法学部政治学科の中村菊男教授の
ゼミだ。中村教授は、論争を恐れない学者だった。
近代日本政治史が専門だが、1952年には
民主社会主義連盟の結成に参加し、いわゆる
『七〇年安保』を前にしては
『日米安保肯定論』(1967年、有信堂)を著した。
経済学部教授だった加藤寛氏とともに
反共民主陣営を代表する論客だった。
中村教授は『戦前・戦中の朝日新聞は酷かったこと』
と幾度となく語っておられた。そして病床に伏す
直前には『次は「朝日新聞戦犯論」を書かなくては
ならない』と語っておられたという。
彼(松藤)は『次は「朝日新聞戦犯論」を・・・』
を直接聞いた数少ないゼミ生だ。
戦中の朝日新聞については、ズバリそれに触れた
書籍がない――大学を卒業し、そのことを知った
時から、彼は走り出したのだ。・・・
収録する65本の社説を選び出すだけで、
とうとう二年余の歳月がかかってしまった。
まずは毎日ワンズのこの努力に敬意を表したい。
平成26年10月 室谷克実 」
とりあえず、
はじめにと、終章とを読む。
(毎日ワンズ)が届いたのでひらく。
「はじめに」には、こうあります。
「・・・戦中の朝日新聞は、
どんな論調を掲げていたのか・・・
彼(毎日ワンズの社長・松藤竹二郎)と、
私(室谷)とは、慶応義塾大学で同じゼミに
学んだ。法学部政治学科の中村菊男教授の
ゼミだ。中村教授は、論争を恐れない学者だった。
近代日本政治史が専門だが、1952年には
民主社会主義連盟の結成に参加し、いわゆる
『七〇年安保』を前にしては
『日米安保肯定論』(1967年、有信堂)を著した。
経済学部教授だった加藤寛氏とともに
反共民主陣営を代表する論客だった。
中村教授は『戦前・戦中の朝日新聞は酷かったこと』
と幾度となく語っておられた。そして病床に伏す
直前には『次は「朝日新聞戦犯論」を書かなくては
ならない』と語っておられたという。
彼(松藤)は『次は「朝日新聞戦犯論」を・・・』
を直接聞いた数少ないゼミ生だ。
戦中の朝日新聞については、ズバリそれに触れた
書籍がない――大学を卒業し、そのことを知った
時から、彼は走り出したのだ。・・・
収録する65本の社説を選び出すだけで、
とうとう二年余の歳月がかかってしまった。
まずは毎日ワンズのこの努力に敬意を表したい。
平成26年10月 室谷克実 」
とりあえず、
はじめにと、終章とを読む。