賀状。
2014-12-30 | 手紙
年賀状で昨日思い浮かんだのは、
そういえば、池波正太郎に
それについての短文があったなあ、
ということでした。
とりあえず、朝日文庫の
「新年の二つの別れ」
(池波正太郎エッセイシリーズ3)
をめくってみる。
そこに、「賀状」と題する
4頁ほどの文。
思い浮かんだのも何かの縁。
短いので読んでみる。
「正月が来ると、私はもう翌年の
年賀状を考え、これを注文してしまう。」
とはじまっておりました。
「さて・・・・・。
賀状などというものはムダなもの
だという意見もあって、それはそれでよい。
だが私などは年ごとに賀状には凝るほうである。
デザインを考えたり紙質をえらんだりする
ことがたのしく、また、そうした細かい
俗なことに気をつかうのが、とりも直さず、
私の書く時代小説の基盤になっているのだから、
私は俗に生き、世俗にひたりこんで生きている。」
「年に一度のあいさつのやりとりで、
年に一度も会わぬ知人が多いのだから、
いちいち自分で書き、その相手の名をみて
旧交をなつかしくおもいうかべるのは、
うれしいことである。
そうしたゆとりをもちながら賀状の宛名を
書きたいので、正月早々、来年のを注文しても
私には決しておそくはないのだ。
注文して出来上がってくるのが三月
はじめごろで、それから月に何枚か、
ゆっくりと書きたい。
今年はダメであったが、出来るなら
毛筆でやりたい。というのは、
習字をやりたいのだが、なかなかに
暇がなく、習字がわりといっては
何だけれども、筆と硯と用箋は
いつも机上におき、手紙をもらったら、
すぐにその場で、毛筆で返事を書いてしまう。
そうして、少しずつでも生来の悪筆を
なおしてゆきたいし、ふしぎなもので、
またいくらかはマシになってゆくものである。」
こうして、読んでいると
ゆったりした気分になってきて、
年末の後片付けは進まず(笑)。
そういえば、池波正太郎に
それについての短文があったなあ、
ということでした。
とりあえず、朝日文庫の
「新年の二つの別れ」
(池波正太郎エッセイシリーズ3)
をめくってみる。
そこに、「賀状」と題する
4頁ほどの文。
思い浮かんだのも何かの縁。
短いので読んでみる。
「正月が来ると、私はもう翌年の
年賀状を考え、これを注文してしまう。」
とはじまっておりました。
「さて・・・・・。
賀状などというものはムダなもの
だという意見もあって、それはそれでよい。
だが私などは年ごとに賀状には凝るほうである。
デザインを考えたり紙質をえらんだりする
ことがたのしく、また、そうした細かい
俗なことに気をつかうのが、とりも直さず、
私の書く時代小説の基盤になっているのだから、
私は俗に生き、世俗にひたりこんで生きている。」
「年に一度のあいさつのやりとりで、
年に一度も会わぬ知人が多いのだから、
いちいち自分で書き、その相手の名をみて
旧交をなつかしくおもいうかべるのは、
うれしいことである。
そうしたゆとりをもちながら賀状の宛名を
書きたいので、正月早々、来年のを注文しても
私には決しておそくはないのだ。
注文して出来上がってくるのが三月
はじめごろで、それから月に何枚か、
ゆっくりと書きたい。
今年はダメであったが、出来るなら
毛筆でやりたい。というのは、
習字をやりたいのだが、なかなかに
暇がなく、習字がわりといっては
何だけれども、筆と硯と用箋は
いつも机上におき、手紙をもらったら、
すぐにその場で、毛筆で返事を書いてしまう。
そうして、少しずつでも生来の悪筆を
なおしてゆきたいし、ふしぎなもので、
またいくらかはマシになってゆくものである。」
こうして、読んでいると
ゆったりした気分になってきて、
年末の後片付けは進まず(笑)。