和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

自分の恩人。

2015-01-14 | 短文紹介
清水きん著「夫山本周五郎」(福武文庫)を
この機会に通読できました。
小説は読まない私ですので、
山本周五郎の小説も未読。
なのに、清水きんさんの語る
山本家の緊張感が、ユーモラスに
伝わってくるのでした。

それはそうと、
山本周五郎は
1903年(明治36年)6月生まれ。
1967年(昭和42年)2月死去。
ということは、
関東大震災で、20歳。


「木挽町の山本周五郎質店
(大正五年、小学校卒業とともに、
徒弟として住み込んだ銀座・木挽町の
質店。主人を山本周五郎といい、
後年まで物心両面の援助をつづけた。
『山本周五郎』のペンネームはこの
恩人の名に由来するもの)」(p19)

「ちょうど大正12年の9月1日の
関東大震災で、住込みで働いていた
木挽町の山本質店も類焼し、いったん
解散となったのを機に関西へ文学修業に
出ていったということで、神戸にある
小さな雑誌社(夜の神戸社)に職を
見つけて・・・
このときのことを書いたのが、
大正15年の『文藝春秋』4月号に発表された
『須磨寺附近』という小説・・・
文壇処女作ということになっています。」
(p20)

「木挽町の山本店主の名を、・・
ペンネームにしたいきさつは、大正15年に
『文藝春秋』に『須磨寺附近』を投稿した
とき、封筒の所書きに、
木挽町山本周五郎方清水三十六と書いたのを、
作者名山本周五郎として発表されてしまたので、
自分の恩人の名前でもあり、充分自戒の意味も
含めて、ずうっとペンネームとして
通してしまった、という話です。
また、本名の清水三十六(さとむ)という名も
わるくはないが、直木三十五などという
まぎらわしい名の作家もいるので、
それをつかうのはいやだった、
とも言っておりました。」(p42~43)
コメント (2)
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