和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

思考の帯。

2015-01-20 | 短文紹介
外山滋比古著「知的生活習慣」(ちくま新書)。
その本の帯を見ると「『思考の整理学』の著者が
たどり着いた生活の極意」と小文字であり。
さりげなく、著者の最近のカラー写真。

本の帯といえば、
晶文社の木下是雄集3
「日本人の言語環境を考える」の帯は
「『物理学者が提唱する日本語の新しい文体』
 外山滋比古」とある。

のちにそれが題名をかえて
木下是雄著「日本語の思考法」(中公文庫)になり、
その文庫本の帯にも
「これを読んで言語に関して
 同じ人間であるのはむずかしい
 外山滋比古氏推薦 」とある。


うん。新書の「知的生活習慣」の中に、
木下是雄氏が登場する箇所があり。
そこを引用。

「日本語の散文確立にとって
木下是雄『理科系の作文技術』の果たした
役割は大きい。文系の人たちの『文章読本』
は充分に散文的でない。それをはっきりさせ
たのが、物理学者の書いた『理科系の作文技術』
である。」(p206)

「散文確立のためには、あえて、詩歌と絶縁
するくらいの覚悟が必要である。自然科学者の
ほうがいい散文を書くことが多いのも、
文学に干渉されることがすくないからである。」

「散文的であるのはつまらぬ表現だという
先入主にとらわれていては、平明、達意の
文章は書けない。歌人、俳人でもない人間が、
『文学的』な文章にあこがれるのは、知性の
問題である。ものを考えるのにも、文学的、
情緒的なことばより、散文的なことばの方が
すぐれていることははっきりしている。
それでもなお、文学的なことばからはなれるの
を怖がる気持ちはなかなか捨てきれないのだろう。
・・散文が難しいものであることははっきりする。
知的であることは散文的であることと近い、
ということを認めるのが、思考力のある知性
かもしれない。」(~p208)
コメント (2)
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