関東大震災の年に生まれた外山滋比古氏は、
そういえば、
この頃は、再販などを含め、
毎月のように新刊を出されているなあ。
それだけ読者がおられるのだろうなあ。
ということで、新刊の「知的生活習慣」から、
小見出し「生活を編集する」を引用(p85~87)。
「あるとき、われわれの日常の生活も、
形のない雑誌のようなものではないかと考えた。
ぼんやり、なんとなくすごす一日は、
編集のない同人雑誌のようなものではないか。
そういう生活がおもしろかったり、
世のためになったりするはずがない。」
この最後も引用。
「たいていの人間は、毎日、雑然としたことを
している。ほうっておくと、編集のない雑誌の
ようになる。生活のエディターとして、整理を
加えれば、人生は充実したものになる。
そういうのが、生活の編集である。
そうして、小さいながら、一冊の雑誌をつくる
のである。それをただくりかえすだけでなく、
週刊雑誌をつくる。月刊雑誌、年刊雑誌という
ように積みかさねる。その結果がライフ・ワーク
としての人生になるのである。
そういうことを考えるようになったのは、
25年続けた雑誌編集の仕事からはなれてかなり
たってからである。そして、おそまきながら、
わが人生の雑誌の編集にとりかかった。
少しおそかったが、おもしろい日々をすごす
ことができるようになった。」
さてっと、月刊「外山滋比古」では
つぎに、どんな雑誌が
編集されてくるのかなあ(笑)。
そういえば、
この頃は、再販などを含め、
毎月のように新刊を出されているなあ。
それだけ読者がおられるのだろうなあ。
ということで、新刊の「知的生活習慣」から、
小見出し「生活を編集する」を引用(p85~87)。
「あるとき、われわれの日常の生活も、
形のない雑誌のようなものではないかと考えた。
ぼんやり、なんとなくすごす一日は、
編集のない同人雑誌のようなものではないか。
そういう生活がおもしろかったり、
世のためになったりするはずがない。」
この最後も引用。
「たいていの人間は、毎日、雑然としたことを
している。ほうっておくと、編集のない雑誌の
ようになる。生活のエディターとして、整理を
加えれば、人生は充実したものになる。
そういうのが、生活の編集である。
そうして、小さいながら、一冊の雑誌をつくる
のである。それをただくりかえすだけでなく、
週刊雑誌をつくる。月刊雑誌、年刊雑誌という
ように積みかさねる。その結果がライフ・ワーク
としての人生になるのである。
そういうことを考えるようになったのは、
25年続けた雑誌編集の仕事からはなれてかなり
たってからである。そして、おそまきながら、
わが人生の雑誌の編集にとりかかった。
少しおそかったが、おもしろい日々をすごす
ことができるようになった。」
さてっと、月刊「外山滋比古」では
つぎに、どんな雑誌が
編集されてくるのかなあ(笑)。