和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

朝日文章報告書。

2015-01-28 | 短文紹介
雑誌WILL3月号を
パラパラとめくると、
朝日新聞に触れてる。

「五年前、朝日新聞を筆頭に政権交代を
囃し立て、民主党に308議席を与えた。」

とは、堤堯氏(p59)

田原総一朗氏の文は
「・・朝日第三者委員会」というような題。
そう。田原氏は朝日第三者委員会の一人。

「日本の新聞界は、はっきりいえば
安倍政権に批判的な朝日、毎日と、
安倍政権に肯定的な読売、産経が
競い合っている。」(p68)

「第三者委員会からも、
朝日新聞は自らで検証し、分析できないのかと
の疑問が出たが、『自分たちでやれば、自分たち
に都合のいいようになってしまうから外部に
任せる』となった。」(p64)

巻頭随筆の一人・門田隆将氏の文には

「暮れに出た慰安婦報道の第三者委員会の
報告書では、朝日の論理のすりかえの手法や、
運動体と化したかのような【角度をつける】記事、
さらには、歪曲してまで相手にレッテルを貼る
やり方などが、厳しく指摘された。」(p27)

この門田氏の真意を、具体的に読みたくなる。
そういえば、と貰ってきた朝日の古新聞を
ひっくりかえす。
その2014年12月23日に
慰安婦報道 第三者委員会報告書(要約版)
があります。
ネットでも確認できそうです。
要約版の⑥が委員の個別意見が載っており、
各委員の意見が聞ける。
要約版も最初から読むと、
朝日の都合に付き合うこととなります。
くれぐれも注意して⑥から読むことを
私はおすすめ。
岡本行夫氏は
「記事に『角度』をつけ過ぎるな」と題して、
うん。この中では一番読めました。
次が北岡伸一氏の
「現代におけるジャーナリズムの責任」
いちばん長い文。


ちなみに、蛇足になりますが、
もう一人なら波多野澄雄氏の
「『相対化』する視点を!」が
私には興味深い。
この波多野氏の文の最後に

「大野博人氏(論説主幹)は、
今年6月、東亜日報幹部との
長時間対談を終え、こう書いている。
自分たちの国や政府の振る舞いを
なるべく『相対化』する視点を
読者に提供する。私は、それも
大事な仕事の一つだと思っている。・・」

この波多野氏の題の
「『相対化』する視点を!」で
すぐに思い浮かぶのは

清水正之著「日本思想全史」(ちくま新書)の
まえがきにある
「・・もちろん絶対的な思想を説いた
思想家もいる。その絶対の説き方がまた
相対主義への批判というかたちをとる
ところに、日本思想史の興味深い論点があろう。」
(p18)

さてこの清水氏の本「日本思想全史」には
本居宣長の『玉勝間(たまかつま)』からの引用
がありました。その現代語訳の箇所を引用。

「蘭学を学ぶ者は、天地の間にあるどの国も
それぞれだから、どこかに一辺倒に執着する
べきではない、というように言っているよう
である。この見解は、あの中国にだけ執着する
よりは、優れており一見その通りだと聞こえる
が、しかし日本が万国に優れて尊い国である
ことをなお知らないのではなかろうか。
万国のことを知ったならば、日本の優秀さは
自然と知られるはずなのに、ただ執着しない
ことをよしとしてどこにも執着しないことに
執着しているからであろう。これは蘭学者に
限らず、世の普通の学者にも、今日こうした
考えの者は多い」


こうして訳したあとに、
こう指摘しております。

「宣長は蘭学の相対主義を評価し、それが、
中国の絶対化に固執する漢学者よりすぐれて
いるとしながらも、他方で、日本の尊さを
知らないということにおいて、まさに自らの
相対主義そのものに固執していると批判する。
そして、蘭学者のみならず、一般の学者にも
こうした考え方をする者は多いとして、
その批判を、同時代の知のあり方に向けている。」
(p261)


うん。波多野澄雄委員の個別意見が
「日本思想全史」へとつながってゆくような
ひろがりを感じたのでした(笑)。

それにしても
「『相対化」する視点を」という
朝日新聞論説主幹の言葉は

「第三者委員会からも、
朝日新聞は自らで検証し、分析できないのかと
の疑問が出たが、『自分たちでやれば、自分たち
に都合のいいようになってしまうから外部に
任せる』となった。」

という言葉と、
重ねあわせて味わってみたい。
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