清水きん著「夫山本周五郎」(福武文庫)では、
語りをおこしたものだからでしょうか
主人と書いて、(うち)と読ませております。
ということで、一箇所引用。
「『・・・あの着物は、ここへ来るまえに、
かあさんが汗水たらしてこしらえたものだ。
それをみんな質草にさせてしまったのは
ぼくがわるかった』。『いいの。わたくし、
着物になんの未練はないのよ』とだけ
答えるほかありませんでした。食べるのに
困ったから、など弁解がましく言ったりすると、
主人は自分の怠けぶりをアテつけられたのじゃ
ないかと思ってまたおこりだす性分でしたから。
ひと言答えるにも、そういうふうに考えて
返事しなくちゃいけない。それとも知らん顔を
したほうがいいのだろうか、いつもちょっと
考えてしまうのです。扱うコツを心得てしまえば
そんなにむずかしい人ではありませんでしたが、
そこがのみこめるまではやはり並み大抵では
ありませんでした。しかし、こういうことは
うちばかりのことではないでしょうし、
他所(よそ)さまのお宅でも多少なりと
あることなんじゃないかと思います。」(p55)
神社の狛犬ならば、
あ・うんの呼吸とでもいうのでしょうか。
語りをおこしたものだからでしょうか
主人と書いて、(うち)と読ませております。
ということで、一箇所引用。
「『・・・あの着物は、ここへ来るまえに、
かあさんが汗水たらしてこしらえたものだ。
それをみんな質草にさせてしまったのは
ぼくがわるかった』。『いいの。わたくし、
着物になんの未練はないのよ』とだけ
答えるほかありませんでした。食べるのに
困ったから、など弁解がましく言ったりすると、
主人は自分の怠けぶりをアテつけられたのじゃ
ないかと思ってまたおこりだす性分でしたから。
ひと言答えるにも、そういうふうに考えて
返事しなくちゃいけない。それとも知らん顔を
したほうがいいのだろうか、いつもちょっと
考えてしまうのです。扱うコツを心得てしまえば
そんなにむずかしい人ではありませんでしたが、
そこがのみこめるまではやはり並み大抵では
ありませんでした。しかし、こういうことは
うちばかりのことではないでしょうし、
他所(よそ)さまのお宅でも多少なりと
あることなんじゃないかと思います。」(p55)
神社の狛犬ならば、
あ・うんの呼吸とでもいうのでしょうか。