和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

日本思想全史。

2015-01-27 | 前書・後書。
注文してあった清水正之著
「日本思想全史」(ちくま新書)が
届く。2014年11月10日第一刷。
届いたのは2015年1月15日第四刷。

パラリと最後の方をひらく
「おわりに――二階建ての哲学」(p414~417)に
カール・レーヴィットを引用しておりました。

「『・・二階建ての家にすんでいるようなもので、
階下では日本的に考えたり感じたりするし、
二階にはプラトンからハイデッガーに至るまでの
ヨーロッパの学問が紐に通したように並べてある。
そして、ヨーロッパ人の教師は、これで二階と
階下を往き来する梯子はどこにあるのだろうか、
と疑問に思う。本当のところ、かれらはあるがまま
の自分を愛している。認識の木の実をまだ食べて
いないので、純潔さを喪失していない。人間を自分の
中から取り出し、人間を自分に対して批判的にする
あの喪失を嘗(な)めていないのである。』
レーヴィットが、ナチスの政策でドイツの大学を辞め、
東北大学に招かれたのは1936年(昭和11)11月で
あった。そして1941年、日独の提携の強化のなかで、
離日し渡米する、その間の体験からの以上の言である。」

うん。
もう90歳以上の方は、
二階へ行くのも億劫になるだろうなあ。
などと私は思い浮かべます(笑)。

そういえば、
柴田トヨさんの詩集「くじけないで」の帯に
「『百歳近いトヨさんが92歳から始めた詩が
この詩集となって日本中の人々に生きる夢を
与えている』日野原重明さん大絶賛」
「白寿の処女詩集」

うん。テレビで見たことのある
柴田トヨさんのお宅は、
たしか平屋でした(笑)。

さあてっと、
「日本思想全史」の帯には
「神話時代から現代まで日本人の
思考をたどるはじめての本格通史」
とあります。

「はじめに」には

「現在では、日本の思想というジャンルは
ある程度の市民権を得ている。それは近代の
初頭において、日本思想研究の確立に努力し
た先人の賜(たまもの)でもある。当初、
当人たちの意識では、哲学的な分科という
視点であった。現状では、学際的な領域である
とともに、全体的には歴史学的手法を用いた
思想史が多い。」

「はじめに」の最後も引用。

「・・・もちろん絶対的な思想を説いた
思想家もいる。その絶対の説き方がまた
相対主義への批判というかたちをとる
ところに、日本思想史の興味深い論点が
あろう。思想の選択的受容のなかには、
あるべき人間とは何か、という問いが
常にあった。選択的受容を通して、
内と外の二重性を超えて至りつこうとした
それぞれの時代の思想に照明を当てること
で、決して外部的視点からの解釈を押し通す
のではなく、内在的視点をもって、
本書の叙述をしていきたい。
今また私たちの生きる場は、選択と受容の
はざまにある。過去の選択と受容を精査し、
蓄積の上に未来をどう組み立てるかが、
日本の思想の課題である。」

うん。ありがたい。
尾瀬の沼や湿原に、はじめて
木道ができた時のように、
この新書でもって、
日本の思想を軽装で歩きながら、
眺められるようになった。
そんな一冊が、ここにあるようです(笑)。
コメント
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