風といえば、
良寛の天上大風という文字が思い浮かぶ。
ということで、
新潮社とんぼの本の「良寛さん」を
古本で購入。
表装された「天上大風」の写真から、
とんぼの本「良寛さん」は、はじまっておりました。
白洲正子さんも書いておりますので、
そのはじまりを引用。
「若い頃良寛の書がほしくて、ずい分探したことがある。
私の場合はなりふり構わず駆けずりまわって、
良寛良寛と呼ばわるのであるが、ある時
『天上大風』の書に出会って、釘づけになってしまった。
以来、良寛を探すことはふっつりあきらめたが、
大騒ぎをするかわりにあきらめるのも早いものである。
・・・・
『天上大風』が目の前に現れて、
何もかも吹き飛ばしてしまうのであった。
それほどはじめて見た時のショックは大きく、
いまだにそれはつづいている。」
短い白州さんの文の最後も引用。
「この書に接する時、
私たちは心身ともに軽くなって、
虚空に遊ぶような心地になる。
いつしか良寛の書は消えてなくなり、
ただ良寛の魂にふれる想いがするのである。」
はい。白洲正子の次は、
小林秀雄の「良寛の書」を引用。
真贋と題した小林秀雄の文はこうはじまります。
「先年、良寛の『地震後作』と題した詩軸を得て、
得意になって掛けてゐた。
何も良寛の書を理解し合点してゐるわけではない。
ただ買ったといふので何となく得意なのである。
さういふ何の根拠もないうかうかした喜びは
一般書画好き通有の喜びであって、
専門家の知らぬ貴重な心持ちである。
ある晩、吉野秀雄君がやって来た。
彼は良寛の研究家である。
どうだと言ふと黙って見てゐる。
・・・・
『いや、越後に地震があってね、
それからの良寛は、こんな字は書かない』
純粋な喜びは果敢無いものである。
糞ッいまいましい、又、引つ掛かつたか・・・」
とはじまる12頁の文。
うん。この文章だいぶ、元手がかかっており、
何とも、うらみつらみを晴らすような経過文(笑)。
うん。良寛の書を、
どう押さえたらよいのか?
思い浮かぶのは吉本隆明著「良寛」(春秋社)の序。
そこから引用。
「・・その墨書は、習字が学習から美の領域にまで
いりこんでいた近世後期では、知るひとには比類のない
評価をうけていたとおもえる。・・・・
儒家のある者は書家として江戸で知られていた。
書家ということは、南画家が画家とともに儒学者だったように、
詩文の造型家であり同時に儒学者でもあった。
良寛は資質的な傾向から儒学者でなくて、
自由な僧侶というべき在り方をたどった。
書家と僧侶とを兼ねた者は、おおむね制度のなかの禅の師家だった。
良寛はここでも制度の外にはみだした孤独な師家だったといってよい。
同派の僧堂は、故郷に隠棲した良寛を師家として認めなかったに違いない。
良寛も僧の形をしていても制度のなかの師家とは違う生き方をえらんでいた。
わたしたち現代のものからみても、
良寛は微妙なところで書家と僧侶の常道から外れている箇所がある。」
そして序の最後でこう指摘されております。
「わたしの推測では良寛の均衡した姿勢は、一見すると放縦なようで
実は厳密だった僧侶としての規範からきているとおもえる。・・・」
え~と何だったっけ。
そうそう。夏に風ということで、
昨日に続けてのブログでした。
良寛の天上大風という文字が思い浮かぶ。
ということで、
新潮社とんぼの本の「良寛さん」を
古本で購入。
表装された「天上大風」の写真から、
とんぼの本「良寛さん」は、はじまっておりました。
白洲正子さんも書いておりますので、
そのはじまりを引用。
「若い頃良寛の書がほしくて、ずい分探したことがある。
私の場合はなりふり構わず駆けずりまわって、
良寛良寛と呼ばわるのであるが、ある時
『天上大風』の書に出会って、釘づけになってしまった。
以来、良寛を探すことはふっつりあきらめたが、
大騒ぎをするかわりにあきらめるのも早いものである。
・・・・
『天上大風』が目の前に現れて、
何もかも吹き飛ばしてしまうのであった。
それほどはじめて見た時のショックは大きく、
いまだにそれはつづいている。」
短い白州さんの文の最後も引用。
「この書に接する時、
私たちは心身ともに軽くなって、
虚空に遊ぶような心地になる。
いつしか良寛の書は消えてなくなり、
ただ良寛の魂にふれる想いがするのである。」
はい。白洲正子の次は、
小林秀雄の「良寛の書」を引用。
真贋と題した小林秀雄の文はこうはじまります。
「先年、良寛の『地震後作』と題した詩軸を得て、
得意になって掛けてゐた。
何も良寛の書を理解し合点してゐるわけではない。
ただ買ったといふので何となく得意なのである。
さういふ何の根拠もないうかうかした喜びは
一般書画好き通有の喜びであって、
専門家の知らぬ貴重な心持ちである。
ある晩、吉野秀雄君がやって来た。
彼は良寛の研究家である。
どうだと言ふと黙って見てゐる。
・・・・
『いや、越後に地震があってね、
それからの良寛は、こんな字は書かない』
純粋な喜びは果敢無いものである。
糞ッいまいましい、又、引つ掛かつたか・・・」
とはじまる12頁の文。
うん。この文章だいぶ、元手がかかっており、
何とも、うらみつらみを晴らすような経過文(笑)。
うん。良寛の書を、
どう押さえたらよいのか?
思い浮かぶのは吉本隆明著「良寛」(春秋社)の序。
そこから引用。
「・・その墨書は、習字が学習から美の領域にまで
いりこんでいた近世後期では、知るひとには比類のない
評価をうけていたとおもえる。・・・・
儒家のある者は書家として江戸で知られていた。
書家ということは、南画家が画家とともに儒学者だったように、
詩文の造型家であり同時に儒学者でもあった。
良寛は資質的な傾向から儒学者でなくて、
自由な僧侶というべき在り方をたどった。
書家と僧侶とを兼ねた者は、おおむね制度のなかの禅の師家だった。
良寛はここでも制度の外にはみだした孤独な師家だったといってよい。
同派の僧堂は、故郷に隠棲した良寛を師家として認めなかったに違いない。
良寛も僧の形をしていても制度のなかの師家とは違う生き方をえらんでいた。
わたしたち現代のものからみても、
良寛は微妙なところで書家と僧侶の常道から外れている箇所がある。」
そして序の最後でこう指摘されております。
「わたしの推測では良寛の均衡した姿勢は、一見すると放縦なようで
実は厳密だった僧侶としての規範からきているとおもえる。・・・」
え~と何だったっけ。
そうそう。夏に風ということで、
昨日に続けてのブログでした。