新刊で買ってあって、読まずに本棚に置いてあった本。
石井桃子著「子どもが本をひらくとき」(ブックグローブ社)を
とりだしてくる。題名の下には「石井桃子講演録」とあります。
単行本というより、冊子と呼びたい全63頁。
はい。一日講演を聞きに出かけたような気分になりました。
1984年(昭和59)77歳の時の講演です。
「私、目は片っぽほとんど見えませんし、
耳も片っぽはきこえません。ほんとにポンコツ人間で・・」
と講演の最初の方にあります。
「ノンちゃん雲に乗る」の
1949年大地書房の表紙絵が、カラーで載っていました(p15)
そこを引用。
「戦争中に『ノンちゃん雲に乗る』を書きましたが、
それもまったくの偶然でして、日本がもう旗色が悪くなって、
どういうふうにしてこの先、生きていくかというようなときに、
友達のために書いた本が、あの本だったのです。
私は書いた時には、子どもの本だとは思っていませんでした。
大人に読んでもらったのですから・・・、
男の友達が大勢いましたから、その人たちは戦争に行く、
いずれは死ななくてはならないかもしれない。
そういう人たちがよく私の家に、遊びにまいりました。
そこで、私なにかあなた方に本書いてあげますねって一章ずつ書いて、
そういう人たちが回し読みしていたのがノンちゃんだったわけです。
ノンちゃんを書きまして、将校だったり兵隊だったりした人たちが、
それを兵舎に持ち帰り、夜中、就寝時間中に、その本を、
その原稿ですね、クチャクチャのわら半紙みたいな原稿用紙に
書いたと思いますけれども、こっそり読んでっくれたのです。
兵隊というのはほんとうに非人間的な生活をしていたのですけれども、
『ノンちゃんを読んでいるときだけ、自分はその何時間だか人間になる』
と言ってくれた人があったものですから、
私はもうとても励まされて、とうとう次から次へと書いてしまいました。
戦争になりつつあること、そんな話なんかを書いていても、
どこの本屋さんも出してくれませんから、その原稿を持って、
あっちこっちお百姓をして歩いたりして戦争の終るまで、
それは原稿のまま私の手もとで眠っていました。」(p15~17)
うん。私は大人になってから「ノンちゃん雲に乗る」を
読んだのですが、その時感じたのは、これは誰が読むのだろうと
いう違和感みたいなものがありました。
この箇所を読んでようやく分かった気がします。
子どもの図書館についての言及に
「このごろの文庫に来る子どもたちは、長い話をきけない。
長い本は読めない。そして刺激の多い話でないとダメなのです。
そういうことは、その子どもたちがハタチになり、
三十歳になったときに、どういうことで現われてくるか・・」
(p38)
はい。私は
「長い話をきけない。長い本は読めない。」子どもでした。
40ページほどの講演です。読めてよかった。
石井桃子著「子どもが本をひらくとき」(ブックグローブ社)を
とりだしてくる。題名の下には「石井桃子講演録」とあります。
単行本というより、冊子と呼びたい全63頁。
はい。一日講演を聞きに出かけたような気分になりました。
1984年(昭和59)77歳の時の講演です。
「私、目は片っぽほとんど見えませんし、
耳も片っぽはきこえません。ほんとにポンコツ人間で・・」
と講演の最初の方にあります。
「ノンちゃん雲に乗る」の
1949年大地書房の表紙絵が、カラーで載っていました(p15)
そこを引用。
「戦争中に『ノンちゃん雲に乗る』を書きましたが、
それもまったくの偶然でして、日本がもう旗色が悪くなって、
どういうふうにしてこの先、生きていくかというようなときに、
友達のために書いた本が、あの本だったのです。
私は書いた時には、子どもの本だとは思っていませんでした。
大人に読んでもらったのですから・・・、
男の友達が大勢いましたから、その人たちは戦争に行く、
いずれは死ななくてはならないかもしれない。
そういう人たちがよく私の家に、遊びにまいりました。
そこで、私なにかあなた方に本書いてあげますねって一章ずつ書いて、
そういう人たちが回し読みしていたのがノンちゃんだったわけです。
ノンちゃんを書きまして、将校だったり兵隊だったりした人たちが、
それを兵舎に持ち帰り、夜中、就寝時間中に、その本を、
その原稿ですね、クチャクチャのわら半紙みたいな原稿用紙に
書いたと思いますけれども、こっそり読んでっくれたのです。
兵隊というのはほんとうに非人間的な生活をしていたのですけれども、
『ノンちゃんを読んでいるときだけ、自分はその何時間だか人間になる』
と言ってくれた人があったものですから、
私はもうとても励まされて、とうとう次から次へと書いてしまいました。
戦争になりつつあること、そんな話なんかを書いていても、
どこの本屋さんも出してくれませんから、その原稿を持って、
あっちこっちお百姓をして歩いたりして戦争の終るまで、
それは原稿のまま私の手もとで眠っていました。」(p15~17)
うん。私は大人になってから「ノンちゃん雲に乗る」を
読んだのですが、その時感じたのは、これは誰が読むのだろうと
いう違和感みたいなものがありました。
この箇所を読んでようやく分かった気がします。
子どもの図書館についての言及に
「このごろの文庫に来る子どもたちは、長い話をきけない。
長い本は読めない。そして刺激の多い話でないとダメなのです。
そういうことは、その子どもたちがハタチになり、
三十歳になったときに、どういうことで現われてくるか・・」
(p38)
はい。私は
「長い話をきけない。長い本は読めない。」子どもでした。
40ページほどの講演です。読めてよかった。