雑誌Voice9月号の「著者に聞く」。
今回は大澤聡氏。著書の
筑摩選書「教養主義のリハビリテーション」
をとりあげておりました。
気になる言葉がありましたので引用。
「誰もが膨大な情報にアクセスできるようになった。が、
そこで得られるのはフラットに横滑りしていく情報の群れ
にすぎません。つまり、情報をどれだけ搔き集めてみても、
正しい縦のラインにはならない。」
「書籍の利点はメモ書きのような特殊な本でもない限りは、
一冊のなかである程度は体系化が意識されていることです。
ひと連なりの冊子体である以上、書き手にも読み手にも
軸が意識され、因果関係などがしっかりしている。
テレビや映画と違って、体験として受動的ではありえない
こともかえって強みですね。
読み進める速度を読者自身が自由にコントロールできるし、
飛ばし読みや読み返しが簡単にできる。
つまり、自分の必要と水準に応じてそれぞれのやり方で
接することになります。そのことも含めて、
コンテンツと自分との距離をつねに再帰的に考える。
それが主体を形成します。
だから、入口としてネットやテレビは有効ですが、
ある段階から先は書籍に移行しないと、
教養として着地しないんじゃないでしょうか。」
(p239~240)
う~ん。
「『現代との距離』を測定する回路がない」とか
「フラットに横滑りしていく情報の群れにすぎません」とか
「コンテンツと自分との距離をつねに再帰的に考える」とか
「教養として着地しないんじゃないでしょうか」とか
それぞれの言葉に、発信力があるなあ。
著者は1978年生まれだそうです。
「着地」という言葉からは、体操競技を思い浮かべます。
せっかくですから、最後は詩を引用。
鉄棒(二) 村野四郎
僕は地平線に飛びつく
僅に指さきが引っかかった
僕は世界にぶら下った
筋肉だけが僕の頼みだ
僕は赤くなる 僕は収縮する
足が上ってゆく
おお 僕は何処へ行く
大きく世界が一回転して
僕が上になる
高くからの俯瞰
ああ 両肩に柔軟な雲
そういえば、この体操詩集には
着地という言葉がなかった(笑)。
そのかわり
「彼には落下があるばかりだ」
という詩は、棒高跳び。
棒高飛 村野四郎
彼は地蜂のように
長い棒をさげて駆けてくる
そして当然のごとく空に浮び
上昇する地平線を追いあげる
ついに一つの限界を飛びこえると
彼は支えるものを突きすてた
彼には落下があるばかりだ
おお 力なくおちる
いまや醜く地上に顚倒する彼の上へ
突如 ふたたび
地平線がおりてきて
はげしく彼の肩を打つ
注釈】マスコミの横滑り情報という地平線。
その「地平線がおりてきて、はげしく彼の肩を打つ」
というイメージが湧いてくるのでした(笑)。
言うは易く、着地は難しく。
リハビリテーションならば、
ひっくりかえりそうになって
地上に顚倒。受け身。着地。
う~ん。着地までには、
高度な身体訓練がいりそうです(笑)。
ということで、マスコミからの着地の技術。
というような題の本も読んでみたい。
今回は大澤聡氏。著書の
筑摩選書「教養主義のリハビリテーション」
をとりあげておりました。
気になる言葉がありましたので引用。
「誰もが膨大な情報にアクセスできるようになった。が、
そこで得られるのはフラットに横滑りしていく情報の群れ
にすぎません。つまり、情報をどれだけ搔き集めてみても、
正しい縦のラインにはならない。」
「書籍の利点はメモ書きのような特殊な本でもない限りは、
一冊のなかである程度は体系化が意識されていることです。
ひと連なりの冊子体である以上、書き手にも読み手にも
軸が意識され、因果関係などがしっかりしている。
テレビや映画と違って、体験として受動的ではありえない
こともかえって強みですね。
読み進める速度を読者自身が自由にコントロールできるし、
飛ばし読みや読み返しが簡単にできる。
つまり、自分の必要と水準に応じてそれぞれのやり方で
接することになります。そのことも含めて、
コンテンツと自分との距離をつねに再帰的に考える。
それが主体を形成します。
だから、入口としてネットやテレビは有効ですが、
ある段階から先は書籍に移行しないと、
教養として着地しないんじゃないでしょうか。」
(p239~240)
う~ん。
「『現代との距離』を測定する回路がない」とか
「フラットに横滑りしていく情報の群れにすぎません」とか
「コンテンツと自分との距離をつねに再帰的に考える」とか
「教養として着地しないんじゃないでしょうか」とか
それぞれの言葉に、発信力があるなあ。
著者は1978年生まれだそうです。
「着地」という言葉からは、体操競技を思い浮かべます。
せっかくですから、最後は詩を引用。
鉄棒(二) 村野四郎
僕は地平線に飛びつく
僅に指さきが引っかかった
僕は世界にぶら下った
筋肉だけが僕の頼みだ
僕は赤くなる 僕は収縮する
足が上ってゆく
おお 僕は何処へ行く
大きく世界が一回転して
僕が上になる
高くからの俯瞰
ああ 両肩に柔軟な雲
そういえば、この体操詩集には
着地という言葉がなかった(笑)。
そのかわり
「彼には落下があるばかりだ」
という詩は、棒高跳び。
棒高飛 村野四郎
彼は地蜂のように
長い棒をさげて駆けてくる
そして当然のごとく空に浮び
上昇する地平線を追いあげる
ついに一つの限界を飛びこえると
彼は支えるものを突きすてた
彼には落下があるばかりだ
おお 力なくおちる
いまや醜く地上に顚倒する彼の上へ
突如 ふたたび
地平線がおりてきて
はげしく彼の肩を打つ
注釈】マスコミの横滑り情報という地平線。
その「地平線がおりてきて、はげしく彼の肩を打つ」
というイメージが湧いてくるのでした(笑)。
言うは易く、着地は難しく。
リハビリテーションならば、
ひっくりかえりそうになって
地上に顚倒。受け身。着地。
う~ん。着地までには、
高度な身体訓練がいりそうです(笑)。
ということで、マスコミからの着地の技術。
というような題の本も読んでみたい。