本棚から雑誌を取り出す。
2007年「諸君!」10月号。
表紙の左上に、こうあります。
「永久保存版『私の血となり、肉となった、この三冊』」
脇には、「読み巧者108人の『オールタイム・ベスト3』」
とあります。
はい。雑誌を取り出すまで、すっかり忘れてました。
ちなみに、読売新聞の切り抜きがはさんであります。
切り抜きによりますと、
2009年5月発売の6月号で月刊雑誌「諸君!」休刊
することに決まった。とあります。
記事からすこし引用。
「『諸君!』は1969年5月創刊。
当時の池島信平社長の
『日本人として恥かしくないこと、
そして世界のどの国にも正しく通用すること
をどしどし盛り込んでいきたい』≪創刊の辞≫
という信念から生まれた。・・・」
もどって、永久保存版からの引用。
呉智英氏は、そのベスト3の一冊目に
足立巻一「やちまた」をもってきて、
こう書いておりました。
「足立巻一『やちまた』は、1974年の刊行から
ほどなくして読んだ。28歳の無学な若造としては、
どう表現していいかわからなかったが、強烈な印象を受けた。
たぶんそれが今の〈まちがった人生〉への第一歩だったのだろう。
もう堅気には戻れないと覚悟を決めた。後に、若い連中に
『先生、何か夏休み中に読むような本はありませんか』
と問われると、必ず『やちまた』を挙げるようになった。
薦められた彼らの十人に九人は、挫折しました、
と恥ずかしそうに答える。挫折してよかったよ、
あんなものを面白いと思えてしまったら、
取り返しのつかない人生を送ることになるんだから、
と、彼らの前途を祝福することにしている。
本居春庭だの、鈴木アキラだの、富士谷成章だの、
谷川士清だの、江戸時代の国学者ばかり出てくる本が、
面白いはずがないではないか。でも、
私は寝食を忘れ、没頭して読了した。・・・」(p232)
はい。私は挫折組です(笑)。
今回読み返して気になった人は、
長谷川三千子さんでした。
以下に全文引用してみます。
「アンケートを受けるたびに、
アンケートそのものにケチをつけ、皮肉りたくなる、
といふのは私の悪癖の一つである。
山羊ぢやあるまいし、『私の血となり肉となつた三冊』
だなんて、どこの馬鹿が考へ出した台詞だ?
―――そう呟きながら、すぐに頭に浮かんだのは、
道元の『正法眼蔵』である。
道元と言へば、日本の曹洞宗の開祖として有名な人
であるが、彼が自らの思想をつづつた主著『正法眼蔵』は、
言ふならば、書物は人の血肉とはなり得ない、
といふことをはつきりと語つてゐる書物である。
師資相伝の仏法の教へは、生身の人間から人間への
皮肉骨髄の受け渡しであつて、文字による伝達などではない、
といふのが彼の一貫した考へである。したがつて、
彼が『参学すべし』と言ふときも、それは本を読んで
あれこれ知識を手に入れろといふことではなくて、
ただ自らの心身を挙げて修業せよといふことなのである。
それを彼は『只管打坐』(ただもつぱらに坐禅せよ)と
いふ言ひ方でも語つてゐる。
ところが、その『正法眼蔵』を、
この四十年間、私はただもつぱらに読んできた。
頑として一度も『坐る』ことなしに、
ただひたすら読んできたのである。
何故、と問はれたらば、
結局のところただの天邪鬼としか答へやうがない。
世の中によくある、出家をするつもりもなしに
ただ『教養』として坐禅を組んでは、なにか
もつともらしいことを語る人々を、
いやらしいと思ふ気持のあることは事実であるが、
それだけでは答へになるまい。
少し格好をつけて言へば、
道元自身が、書くことによつて
書かれた言葉の限界を超え出ようとしてゐる
―――その不可能への挑戦を、
不可能への挑戦として受けとめるために、
ただもつぱら『読む』といふ仕方で
この本にあひ対してきたのだ、とも言へる。
実際、さういふ不可能への挑戦でないやうな書物など、
紙とインクと時間の浪費以外のなんであらうか!」
(p256)
はい。『永久保存版』をすこし開いた後に、
また、雑誌を本棚に戻し保存しておきます。
2007年「諸君!」10月号。
表紙の左上に、こうあります。
「永久保存版『私の血となり、肉となった、この三冊』」
脇には、「読み巧者108人の『オールタイム・ベスト3』」
とあります。
はい。雑誌を取り出すまで、すっかり忘れてました。
ちなみに、読売新聞の切り抜きがはさんであります。
切り抜きによりますと、
2009年5月発売の6月号で月刊雑誌「諸君!」休刊
することに決まった。とあります。
記事からすこし引用。
「『諸君!』は1969年5月創刊。
当時の池島信平社長の
『日本人として恥かしくないこと、
そして世界のどの国にも正しく通用すること
をどしどし盛り込んでいきたい』≪創刊の辞≫
という信念から生まれた。・・・」
もどって、永久保存版からの引用。
呉智英氏は、そのベスト3の一冊目に
足立巻一「やちまた」をもってきて、
こう書いておりました。
「足立巻一『やちまた』は、1974年の刊行から
ほどなくして読んだ。28歳の無学な若造としては、
どう表現していいかわからなかったが、強烈な印象を受けた。
たぶんそれが今の〈まちがった人生〉への第一歩だったのだろう。
もう堅気には戻れないと覚悟を決めた。後に、若い連中に
『先生、何か夏休み中に読むような本はありませんか』
と問われると、必ず『やちまた』を挙げるようになった。
薦められた彼らの十人に九人は、挫折しました、
と恥ずかしそうに答える。挫折してよかったよ、
あんなものを面白いと思えてしまったら、
取り返しのつかない人生を送ることになるんだから、
と、彼らの前途を祝福することにしている。
本居春庭だの、鈴木アキラだの、富士谷成章だの、
谷川士清だの、江戸時代の国学者ばかり出てくる本が、
面白いはずがないではないか。でも、
私は寝食を忘れ、没頭して読了した。・・・」(p232)
はい。私は挫折組です(笑)。
今回読み返して気になった人は、
長谷川三千子さんでした。
以下に全文引用してみます。
「アンケートを受けるたびに、
アンケートそのものにケチをつけ、皮肉りたくなる、
といふのは私の悪癖の一つである。
山羊ぢやあるまいし、『私の血となり肉となつた三冊』
だなんて、どこの馬鹿が考へ出した台詞だ?
―――そう呟きながら、すぐに頭に浮かんだのは、
道元の『正法眼蔵』である。
道元と言へば、日本の曹洞宗の開祖として有名な人
であるが、彼が自らの思想をつづつた主著『正法眼蔵』は、
言ふならば、書物は人の血肉とはなり得ない、
といふことをはつきりと語つてゐる書物である。
師資相伝の仏法の教へは、生身の人間から人間への
皮肉骨髄の受け渡しであつて、文字による伝達などではない、
といふのが彼の一貫した考へである。したがつて、
彼が『参学すべし』と言ふときも、それは本を読んで
あれこれ知識を手に入れろといふことではなくて、
ただ自らの心身を挙げて修業せよといふことなのである。
それを彼は『只管打坐』(ただもつぱらに坐禅せよ)と
いふ言ひ方でも語つてゐる。
ところが、その『正法眼蔵』を、
この四十年間、私はただもつぱらに読んできた。
頑として一度も『坐る』ことなしに、
ただひたすら読んできたのである。
何故、と問はれたらば、
結局のところただの天邪鬼としか答へやうがない。
世の中によくある、出家をするつもりもなしに
ただ『教養』として坐禅を組んでは、なにか
もつともらしいことを語る人々を、
いやらしいと思ふ気持のあることは事実であるが、
それだけでは答へになるまい。
少し格好をつけて言へば、
道元自身が、書くことによつて
書かれた言葉の限界を超え出ようとしてゐる
―――その不可能への挑戦を、
不可能への挑戦として受けとめるために、
ただもつぱら『読む』といふ仕方で
この本にあひ対してきたのだ、とも言へる。
実際、さういふ不可能への挑戦でないやうな書物など、
紙とインクと時間の浪費以外のなんであらうか!」
(p256)
はい。『永久保存版』をすこし開いた後に、
また、雑誌を本棚に戻し保存しておきます。