和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

足立巻一の流儀。

2018-08-10 | 本棚並べ
涸沢純平著「遅れ時計の詩人」(編集工房ノア・2017年)。
副題は「編集工房ノア著者追悼記」。
古本で購入。
パラパラめくっていると、
足立巻一氏の追悼文がある。

「エッセイ集は、『人の世やちまた』と名付けられ
足立さんの四十九日忌、9月29日に間に合わせた。」(p129)

そういえば、本棚の未読本に
足立巻一著「人の世やちまた」(編集工房ノア)があった。
はい。この機会に最初から読むことができました。
ということで、「人の世やちまた」から引用。
そのまえに、編集工房ノアさんは題名で損しているような
気がします。「遅れ時計の詩人」にしても「人の世やちまた」
にしても、私はこの題名なら読む気がしませんでした。
たまたま、追悼記とあり、あとは名前が足立巻一だから
いつか、読もうとなったのでした(笑)。

では、「人の世やちまた」から、
この箇所を引用。

「わたしの後半生は、敗戦直後の大阪梅田界隈から始まったと思っている。
昭和21年末、天職とも信じていた中等教員の職を捨て、夕刊新大阪という
新興新聞社の新米記者となった。すでに32歳で、家には母と妻とふたりの
子があり、生活は苦しく、しかも新聞に格別の抱負や自信があるわけでは
なかった。・・・・
編集局の空気はわたしはいつまでたってもなじめなかった。
仕事も一向に慣れず、ヘマばかりやり、いつもおどおどして時を過ごした。
・・・・そうした新聞社勤めで救われたのは、編集局の幹部がみんな
下っ端のわたしをも差別せずに、むしろ庇い労わってくれたことである。
・・・・
ことにこの時期、井上靖に親しくしてもらったことは、
痛撃のような影響と恩恵とを受けて終生忘れ得ない。」


ここからでした。

「井上靖を知って自分など到底小説なんか書けないと断念した。
そこからのちに、わたしは考証と記録に向かうようになる。
二十二年の暮れ、毎日新聞社の近くに急造二階建ての
尾崎書店という小さな本屋ができた。・・・
井上はその相談を受け、神戸の詩人竹中郁とともに
子どもの詩雑誌『きりん』を発行するようになり、
わたしも編集を手伝わされた。新聞社の帰りには、
井上もわたしも必ず尾崎書店に立ち寄った。
そこにはきまって竹中郁や朝日新聞論説委員坂本遼がいた。
わたしたちは風呂に入れてもらい、
闇市で仕入れた牛肉のスキヤキをご馳走になり、
夜遅くまで放談した。井上の戦後詩篇や小説『猟銃』は
その席でナマ原稿のまま読ませてもらった。そして
わたしは井上の才能にますます感服し、
同時に自分の才能に絶望した。
この『きりん』によって井上に一層親密に兄事し、
というより始終つきまとった。
ずいぶんうるさかったことであろう。
二十三年末、井上が東京へ移っても、
わたしは出張で上京するごとにその下宿や
大森の家に泊めてもらった。
迷惑千万だったにちがいない。・・・」
(p137~141)

もどって「遅れ時計の詩人」にある
足立巻一氏追悼文には、こんな箇所があります。

「足立さんの没後、奥さんと話をする機会があった。
取材で頻繁に家を空ける足立さんに、奥さんがいくらか皮肉を込めて、
『そんなことまで、出かけないといけないのですか。
ふつうノリとハサミがあったらできる、というのとちがいますの』
と言われたという。
足立さんはその時、そんなふうに物を書いている人も
いるかもしれないが、わしにはできない、
取材をして書くのがわしの流儀だ、と言われたという。
あくまで現場取材主義で、足で物を書くことを徹底した。・・
足立さんの著作を読むと、そのことがよくわかる。
奥さんではないけれど、こんな些細なことまで、
あるいは傍流まで取材されているのかと驚く。
『お金は、残りませんでした』
と奥さんは笑われた。」(p126~127)

このあとに涸沢さんは、こう記しております。

「校正作業をしていて、足立さんの文章の一字一句を
なぞっていくと、足立さんの呼吸が伝わってきて、
私の中に、いくつか想うことが生まれ、
足立さんが私の中に入ってくるような気がした。

私が校正をしていてまず思ったことは、
何も書くということを難しく考える必要はない、
自分が書きたいと思うこと、書けることを書けばいいのだ、
その中から自分を発見していけばよいのだ、ということだった。
 ・・・・・
また、あらためて思ったのは、
足立さんの文章のわかりやすいことであった。
難解なところは少しもない。
思わせぶりや、奇をてらったところ、歪曲もない。
文章は呼吸のままの自然体であり、読み進むと、
こちら側の呼吸が足立さんの文章の呼吸に知らないうちに
重なっている。無駄はなく、あくまで的確でありながら、
深い味わいがある。
それになんともいえぬ文章から伝わってくる温かさは、
足立さんの人柄であろう。芸術性を目指した文体ではないが、
これは文章としてのひとつの到達だろう。
・・・・
下手でもかまわない。何も上手に書く必要はない。
自分の思うことを、人にわかるように書けばいいのだ、
と思うと、救われた気持ちになった。」
(p128~129)

はい。この追悼文を読んでからだと、ひきつづいて、
単行本「人の世やちまた」がスラスラと読めました。
ありがたい。足立巻一が読めるようになった(笑)。

コメント
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