和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

お墓参りと「祖国とは国語」。

2018-08-16 | 古典
本棚から、山田俊雄・柳瀬尚紀対談
「ことば談議 寝てもさめても」(岩波書店・2003年)を
とりだしてくる。古本で買ったもの。
線をひいてある箇所をパラパラ読み。

そこに、こんな箇所もある。

山田】日本語の場合もそうなんだね。

柳瀬】そうです。

山田】だって、高等学校で漢文もやらない。古典もやらない。

柳瀬】そうなんです。

山田】どこに戻ってゆくべき古里をもつのかというと、
何もないわけですね。

柳瀬】ぼくらが、漢文がなくなった世代ですから、
もうほんとに徹底的に駄目ですね。

山田】無駄かもしれないけれど、やる必要があるんだね。
何が有用かということになってくるけれども。

柳瀬】それと、昔はわけが分からなくても、童謡とか、
いわゆる唱歌がありました。これが今、ほとんど
教えられないんじゃないでしょうか。

山田】あることはあるけど、古いものは外されたでしょうね。

柳瀬】わけは分からなくても、音として聞いて残ってるという、
そういう経験もぼくらの時代からほとんどなくなっています。
戦後のいわゆる民主主義といいますか。

山田】どんどん沈没していくわけだね。
分からないことを教えては意味がないという理屈が、
なぜ成り立つかというところも問題なんです。
分からないことは教えない方がいいと、
歌の文句を変えるでしょ。
ぼくらのときだって分って覚えたものじゃない、
勘違いして覚えても、途中で直ったものだ。

柳瀬】そうですね。
分らないことを教える方がいいんですよね。

山田】分りやすさの方が大事になると、
内容がなくなってくるんです。
内容がない方が子供は分ると思うんだろうけど、
それは駄目なんですよ。


藤原正彦のエッセイの題に「祖国とは国語」
というのがありました。

お墓参りをするように、国語参りに行く番です。
という気持ちをもって、お盆の後を過ごします。
コメント
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