「梅棹忠夫語る」(聞き手・小山修三)に
梅棹】どこかでだれかが書いていたんだけど、
『梅棹忠夫の言ってることは、単なる思いつきにすぎない』
って、それはわたしに言わせたら
『思いつきこそ独創や。思いつきがないものは、
要するに本の引用、ひとまねということやないか』
ということ。それを思いつきにすぎないとは、何事か。
・・・・
『単なる思いつきです』って言う人はどこにもいない。
それでわたしが、『悔しかったら思いついてみい』
って言ってやるわけ(笑)。
・・・・・
・・学問とは、ひとの本を読んで引用することだと
思っている人が多い。(p104~105)
それを、わたしがこうして
引用しているんだから、
何だかおかしい(笑)。
梅棹忠夫著「日本探検」(講談社学術文庫)の
あとのほうに、「『日本探検』始末記」がある。
「この一連の著作は、その企画のはじめから
原稿の完成まで、すべてわたしひとりでおこなった。
現地との交渉から、文献の探索なども、わたし自身で
おこなった。通例、現地探訪には出版社から編集者が
同行するものであるが、この場合、妻以外の同行者はない。
自動車でいった場合は、わたしが自分で運転した。
ただし、旅費はもちろん、文献購入などをふくめて、
必要な経費はすべて中央公論社が負担した。
現地へのアプローチは、すべて知人の紹介によっている。
なにもかも個人の資格でおこない、組織や権威の背景なしに、
パーソナルなつてをたぐるというやりかたは、
成功であったとおもう。この意味からも、わたしは、
わたしのやりかたを、いわゆる取材といわれたくないのである。
いうならば、わたしがむかしからフィールド・ワークで
まもってきた接近法なのである。このやりかたで、
ことの深層にある程度せまることができたであろうか。」
(p428~429)
うん。梅棹忠夫著「日本探検」を読んでいると、
この始末記が、しごく当然な発言だと思えてきます。
そういえば、司馬遼太郎が思い浮かびました。
イマジネーションの源泉が語られている場面。
谷沢永一著「司馬遼太郎」(PHP)を本棚からとりだす。
渡部昇一氏と谷沢さんとの対談があり、
そこにこんな箇所が
谷沢】 それが大体『国盗り物語』の後半くらいから、
いわば本当に歴史密着になるんですが、高山書店から
ドカドカドカーッと本が来るんですよ。
それに全部自分で目を通す。ある時、あまり司馬さんが
多方面に作品を書くもんだから、助手の方を置いて、
その方がたに下調べしてもらっているんじゃないか
という評が立ったんですね。
司馬さんは憤然として、
私にこういいましたね。
『人に読んでもらって、
それで自分が聞いて、イマジネーションが湧きますか』、と。
『作家はイメージで書くんです。
そのイメージというものは自分で読んで、
そこから自分で引っぱりだしてこなければ、
イメージとして固まらないんだ』、と。
主人公が自分の目の前を歩いているような感覚に
なった時に筆を下ろす。それまでずーっと
その資料調べによってイメージを醸し出すんですね。
ある作品を書こうとして、パパッと調べて、
サッと書くということをしないんです。
・・ずーっとその用意をする。そしてその
送ってきた本は玉石混淆という言葉がありますが、
玉石石石なんですね(笑)。
渡部】 たまに玉がある、と(笑)。
谷沢】 そのたまの玉を自分の目でしっかと探し出す。
(p33)
う~ん。
梅棹忠夫と司馬遼太郎の
『悔しかったら思いついてみい』でした。
梅棹】どこかでだれかが書いていたんだけど、
『梅棹忠夫の言ってることは、単なる思いつきにすぎない』
って、それはわたしに言わせたら
『思いつきこそ独創や。思いつきがないものは、
要するに本の引用、ひとまねということやないか』
ということ。それを思いつきにすぎないとは、何事か。
・・・・
『単なる思いつきです』って言う人はどこにもいない。
それでわたしが、『悔しかったら思いついてみい』
って言ってやるわけ(笑)。
・・・・・
・・学問とは、ひとの本を読んで引用することだと
思っている人が多い。(p104~105)
それを、わたしがこうして
引用しているんだから、
何だかおかしい(笑)。
梅棹忠夫著「日本探検」(講談社学術文庫)の
あとのほうに、「『日本探検』始末記」がある。
「この一連の著作は、その企画のはじめから
原稿の完成まで、すべてわたしひとりでおこなった。
現地との交渉から、文献の探索なども、わたし自身で
おこなった。通例、現地探訪には出版社から編集者が
同行するものであるが、この場合、妻以外の同行者はない。
自動車でいった場合は、わたしが自分で運転した。
ただし、旅費はもちろん、文献購入などをふくめて、
必要な経費はすべて中央公論社が負担した。
現地へのアプローチは、すべて知人の紹介によっている。
なにもかも個人の資格でおこない、組織や権威の背景なしに、
パーソナルなつてをたぐるというやりかたは、
成功であったとおもう。この意味からも、わたしは、
わたしのやりかたを、いわゆる取材といわれたくないのである。
いうならば、わたしがむかしからフィールド・ワークで
まもってきた接近法なのである。このやりかたで、
ことの深層にある程度せまることができたであろうか。」
(p428~429)
うん。梅棹忠夫著「日本探検」を読んでいると、
この始末記が、しごく当然な発言だと思えてきます。
そういえば、司馬遼太郎が思い浮かびました。
イマジネーションの源泉が語られている場面。
谷沢永一著「司馬遼太郎」(PHP)を本棚からとりだす。
渡部昇一氏と谷沢さんとの対談があり、
そこにこんな箇所が
谷沢】 それが大体『国盗り物語』の後半くらいから、
いわば本当に歴史密着になるんですが、高山書店から
ドカドカドカーッと本が来るんですよ。
それに全部自分で目を通す。ある時、あまり司馬さんが
多方面に作品を書くもんだから、助手の方を置いて、
その方がたに下調べしてもらっているんじゃないか
という評が立ったんですね。
司馬さんは憤然として、
私にこういいましたね。
『人に読んでもらって、
それで自分が聞いて、イマジネーションが湧きますか』、と。
『作家はイメージで書くんです。
そのイメージというものは自分で読んで、
そこから自分で引っぱりだしてこなければ、
イメージとして固まらないんだ』、と。
主人公が自分の目の前を歩いているような感覚に
なった時に筆を下ろす。それまでずーっと
その資料調べによってイメージを醸し出すんですね。
ある作品を書こうとして、パパッと調べて、
サッと書くということをしないんです。
・・ずーっとその用意をする。そしてその
送ってきた本は玉石混淆という言葉がありますが、
玉石石石なんですね(笑)。
渡部】 たまに玉がある、と(笑)。
谷沢】 そのたまの玉を自分の目でしっかと探し出す。
(p33)
う~ん。
梅棹忠夫と司馬遼太郎の
『悔しかったら思いついてみい』でした。