和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

主人公が目の前を歩いているような。

2019-07-04 | 本棚並べ
「梅棹忠夫語る」(聞き手・小山修三)に

梅棹】どこかでだれかが書いていたんだけど、
『梅棹忠夫の言ってることは、単なる思いつきにすぎない』
って、それはわたしに言わせたら
『思いつきこそ独創や。思いつきがないものは、
要するに本の引用、ひとまねということやないか』
ということ。それを思いつきにすぎないとは、何事か。
 ・・・・
『単なる思いつきです』って言う人はどこにもいない。
それでわたしが、『悔しかったら思いついてみい』
って言ってやるわけ(笑)。
 ・・・・・
・・学問とは、ひとの本を読んで引用することだと
思っている人が多い。(p104~105)



それを、わたしがこうして
引用しているんだから、
何だかおかしい(笑)。



梅棹忠夫著「日本探検」(講談社学術文庫)の
あとのほうに、「『日本探検』始末記」がある。

「この一連の著作は、その企画のはじめから
原稿の完成まで、すべてわたしひとりでおこなった。
現地との交渉から、文献の探索なども、わたし自身で
おこなった。通例、現地探訪には出版社から編集者が
同行するものであるが、この場合、妻以外の同行者はない。
自動車でいった場合は、わたしが自分で運転した。
ただし、旅費はもちろん、文献購入などをふくめて、
必要な経費はすべて中央公論社が負担した。

現地へのアプローチは、すべて知人の紹介によっている。
なにもかも個人の資格でおこない、組織や権威の背景なしに、
パーソナルなつてをたぐるというやりかたは、
成功であったとおもう。この意味からも、わたしは、
わたしのやりかたを、いわゆる取材といわれたくないのである。
いうならば、わたしがむかしからフィールド・ワークで
まもってきた接近法なのである。このやりかたで、
ことの深層にある程度せまることができたであろうか。」
(p428~429)

うん。梅棹忠夫著「日本探検」を読んでいると、
この始末記が、しごく当然な発言だと思えてきます。


そういえば、司馬遼太郎が思い浮かびました。
イマジネーションの源泉が語られている場面。


谷沢永一著「司馬遼太郎」(PHP)を本棚からとりだす。
渡部昇一氏と谷沢さんとの対談があり、
そこにこんな箇所が

谷沢】 それが大体『国盗り物語』の後半くらいから、
いわば本当に歴史密着になるんですが、高山書店から
ドカドカドカーッと本が来るんですよ。
それに全部自分で目を通す。ある時、あまり司馬さんが
多方面に作品を書くもんだから、助手の方を置いて、
その方がたに下調べしてもらっているんじゃないか
という評が立ったんですね。

司馬さんは憤然として、
私にこういいましたね。
『人に読んでもらって、
それで自分が聞いて、イマジネーションが湧きますか』、と。
『作家はイメージで書くんです。
そのイメージというものは自分で読んで、
そこから自分で引っぱりだしてこなければ、
イメージとして固まらないんだ』、と。
主人公が自分の目の前を歩いているような感覚に
なった時に筆を下ろす。それまでずーっと
その資料調べによってイメージを醸し出すんですね。

ある作品を書こうとして、パパッと調べて、
サッと書くということをしないんです。
・・ずーっとその用意をする。そしてその
送ってきた本は玉石混淆という言葉がありますが、
玉石石石なんですね(笑)。

渡部】 たまに玉がある、と(笑)。

谷沢】 そのたまの玉を自分の目でしっかと探し出す。
(p33)



う~ん。
梅棹忠夫と司馬遼太郎の
『悔しかったら思いついてみい』でした。
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古本で買う「家庭学術雑誌」。

2019-07-04 | 本棚並べ
わたしは、はじめて
季刊民族学の一冊を古本で購入したのですが、
目次の裏に、こんな言葉がありました。

「雑誌『季刊民族学』は、
『国立民族学博物館友の会』の会員であるところの、
教養ある市民の家庭に、世界の諸民族の社会と文化
に関する正確な情報を、学術研究の成果にもとづきつつ、
平易で興味ぶかい表現で提供しようとするものである。
いうならばそれは、『家庭学術雑誌』ともいうべき、
あたらしいジャンルの刊行物となることを目ざしている。

現代の市民の意識において、
社会人たると家庭人たるとをとわず、
世界に対する関心はますますひろく、
ふかいものとなりつつある。
その知的要求にこたえるためには、
その表現において興味ぶかく理解しやすい
ものであらねばならないことはいうまでもないが、

その内容においては、つねに正確で
たかい水準の維持につとめなければならない。
同時に、読者に対しては
通俗的好奇心を予想すべきではなく、
品格ある教養と知的関心のつよさをこそ期待すべきであろう。
雑誌『季刊民族学』は、そのようなメディアでありたい
とねがっている。

雑誌『季刊民族学』のあつかう内容は、
単なる客観的な世界の紹介ではない。
それは、全世界を舞台に行動しつつある現代日本人の、
世界意識、世界体験の反映でありたいのである。

こんにちの世界において、日本人は
ますますつよい国際性を要求されつつある。
ゆたかな世界感覚は、日ごろから、あるいは
年少のころからの読書と経験によってやしなわれる。

雑誌『季刊民族学』は、
成人の日常的な教養の源泉であるとともに、
次代の市民たる少年少女たちへの教育の資料としても、
すぐれた効果を発揮できるものでありたいとねがっている。

・・・・・・・    1977・10・20  」


はい。刊行の言葉でしょうか。
その、4分の3を引用してしまいました。

こういう雑誌があることを、
情報としては知っていたのですが、
実際に目にするのははじめてでした。

わたしがひらいた一冊は
季刊民族学53号で、1990(平成2)年となっており、
価格は、会員頒布価格は本体2000円となってます。
広告は、表紙裏と裏表紙とにあるだけでした。

この値段なら、私の視野には存在しなかったわけです。
それが今なら、古本で手ごろな値段で手に入る嬉しさ。

おかげで
還暦をすぎた「少年少女たちへの教育の資料」として
やっと手にすることができました(笑)。


そういえば、梅棹忠夫年譜をめくると、

1956年(昭和31)36歳 『モゴール族探検記』(岩波新書)
とあり、同じ年に   『アフガニスタンの旅』(岩波写真文庫)
が出ております。そして

1958年(昭和33)38歳 『タイ - 学術調査の旅』(岩波写真文庫)
『インドシナの旅 - カンボジア、ベトナム、ラオス』(岩波写真文庫)


梅棹忠夫監修の、写真文庫が3冊でている。
どうやら、『季刊民族学』のルーツみたい。
こちらも、古本で購入することにしました。


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