和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

山はまだですか。

2019-07-25 | 本棚並べ
桑原武夫著「雲の中を歩んではならない」(文藝春秋新社)が
古本で届く。
ちなみに、
「雲の中を歩んではならない」は、1955年発売。
梅棹忠夫著「知的生産の技術」は、1969年発売。


では、「雲の中を歩んではならない」から
「学問を支えるもの」と「書物ぎらいの読書人」と。

まずは「書物ぎらいの読書人」から引用。

「私の父は世事にわき目をふらぬ学究であり、
くら一ぱいにためこんだその蔵書の量は京大一といわれた。
私はそうした書巻の気のうちにそだち、幼時からめちゃめちゃに
乱読したが、同時に、書物に対する食傷感をつとに
体内にうえつけられていた。・・・」


「三高へ入って山岳部に加わって・・・
折から日本は近代登山の勃興期で、私たちも英独仏の
山岳書を勉強したが、仲間のうちには休暇になると
惜しげもなく本を売りはらって、登山の費用に代える
ものがあった。本が古本屋のたなに眠っているとき、
その内容はあざやかなスキー回転のスプールの中に
現存するのを見て、究極において読書なるものの本質は
ここにあると思った。またあるとき登山の研究会で、
他人の発言中、ふと心にわいた疑問を私が紙片に書いて
N君にまわすと、彼はしばし用紙をさがす模様だったが、
机上の本の空欄をさっと破り、そこに図表を書いてよこした。
彼が無理して数日前丸善から買ったばかりの、上質の紙の
中央に本文をきれいに刷ったイギリスの登山記なのだ。
それはこの独創的登山家にとって全く自然な仕草さで、
そこに何の思い入れもあったわけでない。・・・・

私は登山家、探検家、自然科学者に友人を多くもちえた
ことを無上の幸福と思っている。おかげで書物の虫ないし
博学者にならずにすんだ。もちろん人文科学とくに文学の
勉強は、雑多な、全く無意義と思われるような知識の
蓄積の上にしか成立しない。その原則は承認しつつも、
私はその知識を道具として常に活用できるものとしたいと
考えた。・・・道具となりえぬような知識は
忘れた方が精神の健康によいのである。

アランは・・・政治家ジャン・ジョレスを評して、
彼はあらゆるものを読み、あらゆることを知り、
あらゆるものを忘れ、鍛錬された精神のみを残した、
とほめた。読書の究極はここにあるのであろう。
もっとも未練な私は忘れる前に書いておきたい。
・・・・・」(p198~200)

ちなみに、この文は「桑原武夫集」全10巻には
カットされて、掲載されてはいませんでした。

ここにある
「道具となりえぬような知識は忘れた方が精神の健康によい」
というのは、私にはなにやら14年後に刊行される
梅棹忠夫の「知的生産の技術」を想起するのでした(笑)。

つぎは、「学問を支えるもの」から引用。

「現実のインフレをいかにして処理するかに答えられる
経済学者は少なくて、西洋経済学説史学者のみ多いというのでは、
学界の健全なあり方ではないでろう。・・・
学者であると同時に一流の実務家でもある。
自らそうした実務家になる、あるいはそれを養成する
という気魄が日本の社会科学者に乏しいような感じがする。
・・・学問たるかぎり国際的価値を生み出さねばならぬが、
『もの』なくして真の生産はありえないのだ。・・・」
(p67)

はい。実務家を養成する「知的生産の技術」。

こうして、桑原武夫と梅棹忠夫の本をならべると、
わたしに、思い浮かぶ詩があるのでした。


      遠足   竹中郁

  先生 杉山先生
  山はまだですか
  ぼく こんなにたくさん摘みました
  先生 あれ 鶯でしょう

  そのとき杉山先生は
  洋服の上衣を手にもって
  道草しないでさっさと行きなさい
  山はもうすぐそこです 疲れたんですかと
  ステッキの先でさされました

  先生 ぼくはまだこんなに元気です
  ちっとも疲れていやしません
   (今もなお踏みだす一歩)
   (世の中へ踏みだす一歩)
  ぼくは先生とならんで歩きました
  小走りに駆けながら
  元気よく歩いたのです

  先生は日をあびて眼鏡の中で笑われました
  ぼくもあたたかい日をあびています
  この生命に この生活に・・・・

  小学生の遠足の山は近づいても
  先生 
  これからは長い長い遠足です

  だが ぼくはちっとも疲れていやしません
  世の中へ 山のあっちのまだあっちの・・・
  そのステッキを高くあげて
  先生 杉山先生
  空の遠くを指してください
  ぼくはそこまで歩くでしょう


竹中郁少年詩集「子ども闘牛士」(理論社)p54~56

この詩のなかに
「空の遠くを指してください
 ぼくはそこまで歩くでしょう」
とあるのでした。

さて、梅棹忠夫は、どこまで歩いたのか?
梅棹忠夫著作集全22巻別巻1という足跡。




  
コメント
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