和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

技術・作法のパンセ。

2019-07-17 | 本棚並べ
桑原武夫に、西堀栄三郎を書いた
「西堀南極越冬隊長」という文があります。

そこに「私は読書論をかくたびに
彼の風貌を想起せずにはおられない。」
という箇所があるのでした。

「・・・・・
ある登山の集会で、浦松氏の講演中、
私はわからぬことがあったので、
紙片に疑問をかいて西堀に廻した。

彼は例によってグラフと数字を書こうとしたが、
紙がない。すると、彼はその日丸善から買ってきた
ばかりのフィンチの山岳紀行文集の豪華本、本文が
中央に印刷され、余白の多い、その欄外のところを
サッと引きやぶって、それに答えを書いてよこした。

長塚節の『土』の初版本を見つけて
喜んだりしていた私は、全くイカレた。
この間この話をしたら、本人はすっかり忘れていたが、
私のようなものにも、もし読書史というものがありとしたら、
彼のこの行動はその一転回点をなしたといえる。」


はじめて、この箇所を読んだときは、
私も驚きました。これでいいんだ。という
安堵感も、すこしあったような気がします。
はい。図書館で借りてきた本では、
こうはいかない(笑)。


さて、次にいきます。
桑原武夫は1980年(昭和55)76歳で
「桑原武夫集」全十巻を出します(1981年完結)。
その刊行の1カ月前に、「文章作法」を出しております。

その「文章作法」に
「本を焚きつけにでもするとしたら」
というおもしろ箇所があるので引用。

「私は戦争直後にだいぶきつい文章を
いろいろ書きました。それを『現代日本文化の反省』
と題して、本にまとめました。その本の『あとがき』
に次のようなことを書いています。

 『・・・説の当否は時によって、
やがて厳しくさばかれるだろうが、
その結果いかんにかかわらず、私に悔いはない。そして万一、
五十年後に本棚の片隅にこの本をふとみつけた人が、
1946年ごろにはもうこんなにも自明なことを
力説していた人間もあったのかと笑って、
この本を焚きつけにでもするとしたら、
地下から私は満足の笑みをもらすだろう。
そうありたい。』 」


う~ん。もう少し引用。
「文章作法」の第一章は、題して
「人さまに迷惑をかけない文章の書き方」。

そこから引用。

「しかし、文章を書くということは
ひとりごと、つぶやき、あるいは叫びではない。
それは・・・相手のある言葉、すなわち対話です。
・・・・メッセージであって、思うこと、
知っていること、考えたことを伝えることです。
アランの言葉でいえば、パンセ(思想)が含まれて
いなければいけないということです。

思想といっても、マルクス主義思想とか、
ダーウィンの思想とか、そういった
むつかしい意味にとらないで、
自分の考えたことという程度に考えてください。」


「文章作法」の第二章は、
題して「パンチをきかせて書く」。

そこでは、梅棹忠夫著「文明の生態史観」の
書き出し部分を引用して、
おもむろに、はじまっているのでした。

ちなみに、「文明の生態史観」は、
トインビーの本を読んだことから、書き出されています。
桑原武夫は、「文明の生態史観」を引用してゆきながら、
こう書いております。

「これを読んで、
あたりまえのことが書いてあると思ったら、
それは皆さんが若くて歴史感覚がないからです。
四十以上の人だったらわかるでしょうが、
いまから二十年前に、西洋人にむかって
『すくいがたい無知と独善』というような
言葉を書いた人があったか、考えてみてください。
一人としていないですよ。
ですから、あとになったらふつうに見えることが、
書かれたそのときにはドキッとさす。

これがいい文章、いい評論というものの特色です。
私はその当時、この部分を読んだときにドキッとしました。
なんと大胆なことを書くかと。」

こうして、「文明の生態史観」をテキストにして、
シンプルに、「文章作法」を伝授しておりました。



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