昨日古本が届く。
藤本ますみ著「知的生産者たちの現場」(講談社・1984年)。
最後の著者略歴に
「1966年1月より1974年7月まで京都大学人文学研究所の
梅棹忠夫研究室の秘書を務める。」とあります。
うん。いま第二章「知的生産者たち」を興味深く
読んでいるのですが、ここでは忘れないうちに、
第一章からすこし引用。
それは、ひらかなタイプを習っている場面でした。
「『わかちがきは おもっていたほど むずかしくなかった。』
と、うってしまう。正しくは、
『わかちがき は おもっていた ほど むずかしく なかった。』
と、うたなければならない。 」(p86)
「分かちがきのルールに少し慣れてきたころ、
いっぺん、手紙でないものをうってみたくなった。
ちょうど手もとに川喜田二郎先生の『発想法』という本が
あったので、その出だしのところをうってみた。・・・・
題名の『はっそうほう』にしてからが、
『発送法』なのか『発走法』なのか『発想法』なのか、
わからない。漢字は同音意義の言葉が多いから、
そのままひらかなにしてしまうと、
意味がわかりにくくなるのだ。
この経験から、ひらかなタイプでかく文章は
漢字・かなまじり文をそのまま、ばらばらに
しただけではだめだということがよくわかった。
先生の手紙の文章は、
そこのところを考えて作文してあるから、
ひらかな・分かちがき文にしても、意味がすっとわかる。
先生の文章の場合は、たとえば『知的生産の技術』の文章でも、
ひらかなタイプでうってもわかりやすい。
どこがちがうのか。それは、『知的生産の技術』の文章は
耳できいてわかる言葉でかかれているからだろう。
つまり、ひらかな言葉が多いせいだと思う。
同音異義の漢字の熟語をなるべく避けてかいてある。
先生はもう長いこと・・・かいてこられたせいで、
漢字・かなまじり文になっても、言葉選びのとき、
きいてわかる言葉という配慮がなされているのであろう。」
(p86~87)
この本の著者藤本ますみさんは、
福井県勝山保健所で栄養士として勤務していたところを
ゆえあって、梅棹忠夫研究室の秘書を務めることになります。
その経緯が、第一章に書かれているのでした。
秘書ってどうすればいいのですか?
という藤本さんの質問に、梅棹忠夫はどう
答えていたかも、ちゃんと書かれておりました。
最後に、その梅棹氏の言葉も引用しておきます。
『それはね、たとえばここにあるひらかなタイプで
手紙をうってもらうとか、ファイリング・システムで
書類を整理してもらうとか、こまごましたことがいくらでもある。
しかし、そういう技術的なことは、あまり気にしなくてよろしい。
技術はけいこすれば、じきにできるようになります。
それより大事なことは、秘書には自分で
仕事をみつけてやってもらいたいということやな。
ぼくは秘書にいちいち、これこれのこと、
いつまでにやっておいてくれと、命令したりはしないから、
秘書になってくれる人にのぞみたいことは、
知的好奇心があって、腰かけでなく、責任をもって
はたらいてもらいたいということ。
まあ、そんなとこかな』(p55)
う~ん。ここを読んでいると、
『知的生産の技術』という場合の『技術』への
アプローチの仕方が伝授されているような気がします。
つい、後まわしにして忘れる『それより大事なこと』。
藤本ますみ著「知的生産者たちの現場」(講談社・1984年)。
最後の著者略歴に
「1966年1月より1974年7月まで京都大学人文学研究所の
梅棹忠夫研究室の秘書を務める。」とあります。
うん。いま第二章「知的生産者たち」を興味深く
読んでいるのですが、ここでは忘れないうちに、
第一章からすこし引用。
それは、ひらかなタイプを習っている場面でした。
「『わかちがきは おもっていたほど むずかしくなかった。』
と、うってしまう。正しくは、
『わかちがき は おもっていた ほど むずかしく なかった。』
と、うたなければならない。 」(p86)
「分かちがきのルールに少し慣れてきたころ、
いっぺん、手紙でないものをうってみたくなった。
ちょうど手もとに川喜田二郎先生の『発想法』という本が
あったので、その出だしのところをうってみた。・・・・
題名の『はっそうほう』にしてからが、
『発送法』なのか『発走法』なのか『発想法』なのか、
わからない。漢字は同音意義の言葉が多いから、
そのままひらかなにしてしまうと、
意味がわかりにくくなるのだ。
この経験から、ひらかなタイプでかく文章は
漢字・かなまじり文をそのまま、ばらばらに
しただけではだめだということがよくわかった。
先生の手紙の文章は、
そこのところを考えて作文してあるから、
ひらかな・分かちがき文にしても、意味がすっとわかる。
先生の文章の場合は、たとえば『知的生産の技術』の文章でも、
ひらかなタイプでうってもわかりやすい。
どこがちがうのか。それは、『知的生産の技術』の文章は
耳できいてわかる言葉でかかれているからだろう。
つまり、ひらかな言葉が多いせいだと思う。
同音異義の漢字の熟語をなるべく避けてかいてある。
先生はもう長いこと・・・かいてこられたせいで、
漢字・かなまじり文になっても、言葉選びのとき、
きいてわかる言葉という配慮がなされているのであろう。」
(p86~87)
この本の著者藤本ますみさんは、
福井県勝山保健所で栄養士として勤務していたところを
ゆえあって、梅棹忠夫研究室の秘書を務めることになります。
その経緯が、第一章に書かれているのでした。
秘書ってどうすればいいのですか?
という藤本さんの質問に、梅棹忠夫はどう
答えていたかも、ちゃんと書かれておりました。
最後に、その梅棹氏の言葉も引用しておきます。
『それはね、たとえばここにあるひらかなタイプで
手紙をうってもらうとか、ファイリング・システムで
書類を整理してもらうとか、こまごましたことがいくらでもある。
しかし、そういう技術的なことは、あまり気にしなくてよろしい。
技術はけいこすれば、じきにできるようになります。
それより大事なことは、秘書には自分で
仕事をみつけてやってもらいたいということやな。
ぼくは秘書にいちいち、これこれのこと、
いつまでにやっておいてくれと、命令したりはしないから、
秘書になってくれる人にのぞみたいことは、
知的好奇心があって、腰かけでなく、責任をもって
はたらいてもらいたいということ。
まあ、そんなとこかな』(p55)
う~ん。ここを読んでいると、
『知的生産の技術』という場合の『技術』への
アプローチの仕方が伝授されているような気がします。
つい、後まわしにして忘れる『それより大事なこと』。