和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

原稿がなかなかすすまなくて困っているとき。

2019-07-30 | 本棚並べ
藤本ますみ著「知的生産者たちの現場」(講談社)。
最後の第三章の題は「知的生産の奥義(おうぎ)」。


研究所の秘書の視点で、遅筆の梅棹忠夫を見ています。

「『遅筆の梅棹さん』の評判は、わたしなどがくる前から、
知る人ぞ知る、有名な事実だったのである。

先生が原稿を執筆されるのは、自宅の書斎である。
だから、わたしは、執筆中の先生の姿を見たことはない。

ただ、たいへん苦しい思いをなさるらしいことは、
しめきりのぎりぎりのところにくると、よく
脈が結滞して医者にかかられることからも、察せられた。

本人も『知的生産の技術』のなかで、
自分は文章をかくのは不得意で、たいへん苦しい思いをする、
おおげさにいえば七転八倒すると、告白しておられる。
ところが、本人はそういっているのに、読者はそうは思わない。」
(p238~239)

このあとに、加藤秀俊氏の話題・・・。
加藤氏が『アマチュア思想家宣言』を読んで

「頭をガクンとなぐられたような気がした。・・・
この人(梅棹)の文章は、まず誰にでもわかるような
平易なことばで書かれている。第二にその文章は
きわめて新鮮な思考を展開させている。そして、
その説得力たるやおそるべきものがある。
ひとことでいえば、スキがないのである。・・」
これは加藤秀俊著「わが師わが友」から引用して
載せておりました。

「きくところによれば、加藤(秀俊)先生は、なんであれ、
原稿のしめきりにおくれたことのないかたで、
その点からいえば、梅棹先生とは対照的な存在である。」
(p239)

「原稿がなかなかすすまなくて困っているとき、
先生は苦笑しながら、こんなことをもらされた。
『ぼくの文章は、やさしい言葉でかいてあるから、
すらすら読めるし、わかりやすい。だから、かくときも
さらさらっとかけると思っている人がいるらしい』」


そういえば、この本の第一章のおわりに
富士正晴がふらりと研究所に訪ねて来る場面がありました。
それが誰なのか、秘書の藤本さんには、わかりません。
最後に、その場面を引用。

「とっくりのセーターを着たその人は、
半分白髪の頭の毛をお椀かぶりのようにのばして、
一見、お年をめしたご婦人のようにも見えたのだが、
その声をきくとやっぱり男性であった。ときどきききとりにくい
言葉がまじるが、なかなかユーモラスな話しぶりである。
(p96~


『・・ひさしぶりに京都へくる用事があったから、
ちょっと寄ってみたんやけど。いま桑原さんとこの部屋、
行ってきたけど、鍵がかかってて、だれもいてはらへんかった。
そいでこっちへ歩いてきたら、梅棹さんとこの看板が目について
・・・』

『梅棹さん、このごろ、どうしてはるの。
相変わらず低血圧やっちゅうて、朝出てくるの、遅いんやろ。
あの人、低血圧だしにして、お酒飲んではるんでっせ。そいで、
原稿でけへん、でけへんちゅうて、締め切りおくらして、
編集者困らしてはるんやで、ほんまに悪い人や』
・・・・・
おしゃべりの内容はどれも桑原武夫先生の失敗談や、
小松左京さん、司馬遼太郎さんの身近でおこったエピソードで、
・・独特のちょっぴり毒をふくんだいいまわしで語られる。

『司馬遼太郎はなんであないにつぎつぎ、
ようけかきよんねやろ。やらしいで、ほんまに。・・・
あいつ(司馬)の旅行は取材旅行だけで、買うもんは資料ばっかし。
健康で馬車うまみたいに仕事しよんねん。
締切にもおくれんとな。そやし、どんどん
生産あがってもうかってしまうんやで・・・
そやけどな、あれはかきすぎや、ほんまに。
・・・・かっこ悪いで』

『どうも、ごちそうさん。梅棹君きたら、
よろしゅういうといてや。ほな、さいなら』

・・・午後になって先生(梅棹)に今朝の訪問者の
報告をする・・・
『ああ、その人なら富士正晴さんや。
おもしろい、おもしろいおじさんやったやろ。
そうか、せっかく寄ってくれはったのに、
それは残念なことしたなあ』・・・
富士正晴さんが研究室に見えたのは、
そのときと、あと一回きりであった。」
(p96~102)






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