集英社の「わたしの古典⑱」(1987年)は
「竹西寛子の松尾芭蕉集/与謝蕪村集」。
最初の「わたしと松尾芭蕉、与謝蕪村」では、
芭蕉と蕪村の二人についての指摘があるのでした。
「一つ。芭蕉も無村も、いずれ劣らぬ革新の詩人である。
しかもこの二人は、多くの場合、古典とともに物を見、古典とともに
物を聞き、なおかつ自分ひとりの世界を創り出したという点において
共通である。大袈裟ではなく、当り前のこととして古典を学び、
その上で二様の革新の花を咲かせている。
二つ。芭蕉は読者に沈潜を促し、蕪村はむしろ高揚を促す表現者、
芭蕉はしばしば、一点に向かって錐を揉み込むように句をなし、
蕪村は、天と地の懐に抱かれて悠々と遊びながら、天にも地にも
通じ句をなしている。それでいて、蕪村の句のかなしみが、
芭蕉の句のかなしみよりも浅いとは思われないのである。
三つ。芭蕉の句は思索の分析に応じやすく。
蕪村の句は感受性の分析に応じやすい。このことに優劣はない。
『野ざらし紀行』や『笈の小文』『おくのほそ道』を読むと、
思索の分析に応じやすい句をなす芭蕉の、表現の苗床に立ち入った
と思われる瞬間が何度かあった。単なる紀行というには、
あまりにもつくられた構成の紀行類であるが、そこには、
表現の論理を絶えず自らに課している芭蕉がいて、
俳句の教育者、あるいは指導者としての使命感の有無も、
芭蕉と蕪村の違いの一つかと思われる。
・・・・・・・
芭蕉や蕪村の作品が、その道の研究者や現代俳句の専門家、
愛好者だけでなく、ひろく国語を大切に思う人たちに与える
快い刺激を大事にしたい。国語には歴史がある。
和歌、俳諧の過去を無視して今日の国語はない。
それは好悪を超えた日本の言葉の事実である。」
うん。国語といわれると、意表をつかれたような
気がしました。