集英社の「わたしの古典⑮」は、
「馬場あき子の謡曲集・三枝和子の狂言集」(1987年)。
ちなみに、この本の最後の解説は寿岳章子。
はい。ここでは、3人の方の言葉をちょっと引用することに。
はじめは、馬場あき子さん。
「能と出会って四十年、日常の折々の中でふと口ずさむ
謡(うたい)の節や詞章に、しぜんとその時々の心情に
ふさわしいものをえらんでいるのに微笑を覚えることが
しばしばである。けれど、それを口語訳しようと思ったことは
一度もなかった。口語に置きかえることによって、文語の
格調や韻律の張りを消してしまい、謡曲のもっている詩魂を
いたく冒瀆(ぼうとく)するように思えたからである。
けれど、謡曲の世界を文学として多くの人に知ってほしい
という気持ちは私の内がわに年々に濃くなっていくようだ。
・・・」(「わたしと謡曲」p7)
つぎは、三枝和子さん
「狂言は大好きである。第一、声が良い。底抜けに明るく、
曇りなく、あれは人間が出せる最高の声である。
はじめて狂言を観たのは、戦前、女学校低学年のとき、
大きな笑い声に驚きながらも、とてもすがすがしい気持ちになった。
それが不思議だった。・・・狂言はその発生において
農耕社会の宗教的祭祀儀礼と深くかかわりを持っていた
ことを知り、なるほど、と納得したのであった。
そのうえ、主人も家来も、亭主も女房も、
たてまえを捨て本音でつきあうところがあり、
ときには家来が主人を、女房が亭主をこてんぱんに
やっつけるところがあり、その全体がゆとりのある
笑いに包まれているのが快い。
狂言は、能と深いかかわりを持ちながら完成されてきた
芸能である。・・・」
(「わたしと狂言」p149)
さいごは、寿岳章子さん。
「・・もともと日本古来の芸能に『猿楽』という芸能があった。
平安時代というと、『源氏物語』だの『枕草子』だのという
イメージで、優雅とか、十二単衣とか、和歌とか、そんな世界
ばかりが念頭に浮かぶかもしれない。せいぜい芸能といっても、
京都の葵祭の折、上賀茂神社で演ぜられる舞楽のような、
やはりどこやら荘重でおどろおどろしいものを
思うにとどまるかもしれない。
しかし民衆はたくましくて陽気で、おもしろいものを求める。
そうした民衆の要望にこたえる芸能が、たとえば猿楽だったに
ちがいない。物まねやら言葉芸やらで、見ても聞いてもとても
楽しいものだったらしい。少しばかり品が悪かったり、いやに
皮肉っぽくて鋭かったり、とにかく硬直化しない生き生きした
ものだった。おそらく常に時代に即応して、きわめて
生命力あふれたものであったのだ。・・・・・
室町時代、足利義満の時代の観阿弥・世阿弥という父子二代・・
親子二代にわたって、彼らは能という演劇をいっきょに作りあげた
のである。・・・・・
土台は猿楽だが、それは全くちがうものになり変わった。」
「アンソロジィ=詞華集ということばがある。
謡曲はひょっとすると、一種の日本的詞華集といえないだろうか。
さまざまの古典から引用、日本のキー・ワード集、時にはそれは
海を渡った中国のそれも含めて、まことに多彩なことばの花園である。
謡曲にその魅力を感じることが可能なったとき、
読者の美的な感受性は、いっきょに確かものに
なったというべきであろう。」(~p285)