大庭みな子著「雲を追い」(小学館・2001年)を
寝床でパラパラとひらいてます。
そういえば、と思ったことがありますので書きます。
はじめに司馬遼太郎著「風塵抄二」(中公文庫・2000年)
の最後にある「司馬さんの手紙 福島靖夫」の箇所を引用。
以前にも私は何度か引用してる例の箇所です(笑)。
「文章についての私の疑問に、
司馬さんはこう書いている。
『われわれはニューヨークを歩いていても、パリにいても、
日本文化があるからごく自然にふるまうことができます。
もし世阿弥ももたず、光悦・光琳をもたず、西鶴をもたず、
桂離宮をもたず、姫路城をもたず、法隆寺をもたず、幕藩体制を
もたなかったら、われわれはおちおち世界を歩けないでしょう』
そして、『文章は自分で書いているというより、
日本の文化や伝統が書かせていると考えるべきでしょう』
と続けるのだ。
この手紙を読んで、私はみるみる元気になった。」(p289)
大庭みな子著「雲を追い」にも、司馬さんが言いたかった
と思えるような箇所がありました。はじめの方でした。
「詩的言語、生命の叫びといったものは、書いている本人にも
説明がつかない、自分が今まで生きのびて来た命そのものの力
であり、決して小さな自分だけのものではない。自分自身の作品の
中にほんのわずかでもそのような部分があれば、文学に生きる者として
はひどくよい気分だが、それは向こうからやって来るもので、
自分で作為的に呼び寄せられるものでもない。
自分の力で書いていると信じて疑わないような作家も
ときにいるようだが、そういう人の文章はわたしの心を動かさない。」
(p15)
うん。ここだけじゃ、わかりにくいので
もうすこし引用してゆきます。
「・・・・自力で作品を書いているというよりは、
遠い祖先たちが、数限りない人びとがどっと押し寄せて来て、
無理矢理そう書かされてしまうと思うことが多い。・・・
そういうときは・・・・その部分はあとになって読み直してみると
比較的悪くはないと思える。そして、なぜ自分がそのようなことを
知っていたのか、どうしてそのように書けたのかわからないのに、
首を振り、ぼんやりしてしまうことがしばしばある。」(p14)
うん。こういう方々が、日本の古典の現代語訳に
チャレンジされている、というのが私の現在の興味となっております。
そうそう。大庭さんはこうも書いておりました。
「祖先に遡っても、子孫のことを想い浮かべても
せいぜい三代くらいまでが現実感のある限度で、
それから先は雲か霞のかかったような曖昧模糊としたもので
・・・・」(p15)
うん。これが題名の「雲を追い」とつながるのでしょうか。
すぐに寝ちゃうので、寝室での読書「雲を追い」は、
なかなか読みすすまないのでした。