和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

渡辺京二。1930年生れ。

2020-10-26 | 本棚並べ
昨年の台風15号で、本棚の一部に天井から雨漏り。
ちょうどそこにあったのが、
谷沢永一著「紙つぶて自作自注最終版」(文藝春秋・2005年)。
それに、渡辺京二の本と雑誌が数冊などでした。
この本たちの底は、漏れで水を吸ってしまって、しわしわ。
それでも、いちおうページがひらけるので、
そのまま、本棚にならべておりました。
それを、こわごわ、ひらいてみる。

とりあえず、ページはひらけます。
けれども、「紙つぶて・・」など、パラリとめくると
なんとも、カビがふわっとひろがるような気がします。
だけども、これ古本でもいまだ値段がいいのでそのまま置いときます。
さてっと、渡辺京二の関連の雑誌は、おいそれと古雑誌を買えないので、
そのまま、気になった際にひらきます。
そうして、その気になった今日でした。

2016年6月号「新潮45」には髙山文彦の
「瓦礫の中から石牟礼さん、渡辺さん、ご無事でしたか」。
同じく6月号「文藝春秋」は、特集「大地震からの再出発」で、
渡辺京二の「熊本の地から 私には友がいた!」。
うん。これらも、少ししたらありかも忘れてしまって
汚らしい雑誌として捨てちゃう可能性が大なので、
この機会に、渡辺京二氏の文を引用することに。

まずは、同じく水を吸ってヨレヨレになった
渡辺京二著「未踏の野を過ぎて」(弦書房・2011年)から
引用することに、その本のはじまりの短文は

「このたびの東北大震災について考えを述べるように、
いくつかの新聞・雑誌から注文を受けたが、全部お断りした。」

「世論という場に自分が登場する」のもいやであった。と続きます。
そして、このような単行本なら読者も少ないし
いいのではないかと、4頁の文が載っておりました。

「・・・・いや、東北三県の人びとはよく苦難に耐えて、
パニックを起こしていない。パニックを起こしているのは
メディアである。災害を受けなかった人びとである。

この地球上に人間が生きてきた、そしていまも生きている
というのはどういうことなのか、この際思い出しておこう。

火山は爆発するし、地震は起るし、台風は襲来するし、疫病ははやる。
そもそも人間は地獄の釜の蓋の上で、ずっと踊って来たのだ。
人類史は即災害史であって、無常は自分の隣人だと、
ついこのあいだまで人びとは承知していた。
だからこそ、生は生きるに値し、輝かしかった。人類史上、
どれだけの人数が非業の死を遂げねばならなかったことか。
今回の災害ごときで動顚して、ご先祖に顔向けできると思うか。
人類の記憶を失って、人工的世界の現在にのみ安住してきたからこそ、
この世の終りのように騒ぎ立てねばならぬのだ。・・・」


ちなみに、この本「未踏の野を過ぎて」の目次をひらくと、
「老いとは自分になれることだ」という題が目につくので
その箇所をひらいてみる。はじまりを引用。

「老後というのはふつう、一生の仕事・勤務から引退して、
自由(もしくは不安)になった状態を指すのだろう。
ところが私は、生涯勤めというものをほとんどしてこなかったので
(予備校で働いたのは確かだが、これは90分いくらのギャラを
いただいただけで、勤務したわけではない)、
人生の最初からいわば老後みたいなものであった。

だから、停年になって家ばかりに居て、何をしていいのかわからない、
といった心理とはまったく縁がない。若いころと寸分たがわぬ暮しを、
いまもしているだけである。といっても、生物的な老いは容赦なく
襲ってくるし、何よりもこたえるのは、親しい人間が次々と逝ってしまう
ことだ。眼がかすんで、何だかこの世も遠くなったようだ。」(p22)

はい。これが2011年の文でした。
次に、2016年4月14日の熊本地震へと移ります。

「・・・震源に近い益城(ましき)町はもっと惨澹たる有様だった。
わが家は震源から2里とは離れておらず、それだけに被害は少なくは
なかったとうだけだった。

一応片づけが終った15日の深夜、正確にいうと16日午前1時25分、
M7・3の第二震が襲った。第一震など較べものにならぬ衝撃で、
まだ座卓に向かっていた私は、前後左右、仏壇・書棚・CD棚が
倒れかかる中、ただ座卓にしがみついていた。灯りは消えて真暗闇。
背後右手の最も重い書棚が倒れる際、右肩に打撲を受けた。
もし私が床を延べて寝ていたら、頭部まで書棚・書物に直撃され、
死ぬ重傷を負っていただろう。・・・・・」

「・・いま私は85歳、今度ほど自分が役立たずであるのを
感じさせられたことはない。これほどの災害に遭いながら、
心はもの憂く、何もせぬのに躰は疲労し尽している。
何くそと奮起するものもない。無力感を抱きつつ、
もう面倒で厄介なことはいやだなあと、安穏を夢みるばかりなのだ。
いや災害のせいではなく、去年にはいってから心身ともにもの憂く
なっていた。大地震はそれを仕上げたのである。そして反省しきり。」


「ありがたいことに、世の中は私のような老人ばかりではない。
 ・・・・・
いまの若い人が東北大災害と熊本大地震を経験したのは、・・・
よきことなのだ。このふたつの悲惨事は、これからの社会を担って
ゆく人びとにとって貴重な経験になるにちがいない。

高度化・複雑化・重量化する文明を、いかにして
質を落とすことなくかえって高めながら、
より操り易くより軽量でより人間に馴染み易いものに
転換してゆくかという困難な課題に取り組まなければ
ならぬのは彼らなのだ。・・・・」
(「文藝春秋」2016年6月号・p174~178)

はい。ここまで引用しました。ちなみに、渡辺京二氏の本は
今年の11月にも、また新刊の予定があるのでした。

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鬱症からの帰還の目撃者。

2020-10-26 | 本棚並べ
PHP文庫の谷沢永一著「紙つぶて【完全版】」(1999年)。
この文庫解説は渡部昇一氏。なんとなく読みなおすことに。

阪神大震災のことからはじまっておりました。
はじまりを引用。

「平成7年1月17日午前5時46分、ドドーンという音と共に、
大地震が関西を襲った。・・・この時、大地震帯の真上にあった
兵庫県川西市花屋敷一丁目二十四番地の谷沢永一邸はどうであったか。

主人永一は午前3時頃から書物を相手に仕事をしていたが、
2時間半以上もの集中のあと、ほっと一息つくため、食堂に出て一服
吸っていた。書庫に入っていたままだったら圧死した可能性がある。
夫人美智子は睡眠中で、そこに洋服箪笥が倒れてきた。畳の上に
寝ていたらこれまた圧死の可能性があったが、ベッドであったため
無事であった。両人ともかすり傷一つなかった・・・・・

大震災の話を持ち出したのは、はしなくもここに谷沢永一という
人物の日常が出ていたからである。昭和4年生れの谷沢は当時
66歳だったことになる。・・・・・

ベネディクト会の修道士の如く、日が登る何時間も前に起床して
精進する谷沢の姿は、正に懦夫(だふ)をして起(た)たしむる
ものがあるではないか。谷沢は入試を前にした学生ではないのだ。
毎日が入試のような勉強を谷沢は半世紀以上も続けてきたことになる。」

このあとに、渡部昇一氏は学問の敵を、箇条書きのようにして
とりあげておりました。
ここには、「学問の第三の敵」の箇所を引用。

「政府委員などの公職に就くことである。
政府審議会というものが、どれだけ時間を喰うものであるか。
役人ならそれが本職だ。しかし学者には無駄な時間なのだ。
税金の専門家が税制調査会に入ることは多少の意義はあるだろう。
しかし文科系、しかも純文系の人間にとっては何にもならない
時間である。意見があったら論文なり何なりに書けばよいので、
それを上手に官僚が汲み上げるべきなのである。
谷沢は関西という地の利もあって、このタイム・キラーから
まぬがれていた。もっとも東京にいてもそういう職は
引き受けなかったであろうけれども。」

さて、今回この解説で引用したかった箇所がありました。
谷沢永一氏の鬱症を渡部氏が紹介しているところです。

「・・・日本の図書館は午前3時には開いてくれない。
しかし谷沢は丑の刻であろうと午の刻であろうと、
日曜であろうと祭日であろうと、交通機関を使うことなしに
入館できる私設図書館を持っていたのである。

こんな状況で勉強し続けたら、人はどうなる。
それは谷沢流の鬱症になる。谷沢はしばしば
鬱症になると自称している。一切本が読めなくなる、
というのだ。腦が本を拒絶するらしい。・・・・・・

・・どんな鬱状態の時でも、谷沢は対談や口述になると、
光彩陸離たる話し手、いな噺家ともなるのだ。
ここに私は『光彩』という言葉を使った。
これは私には体験があるからである。

2、3年前、谷沢の鬱状態が特にひどい時があった。
歩くのも大儀という風であって、顔色も冴えない。
しかし前からの予定なので、私と対談して本を作ることになった。
立ち上りはスローであった。しかし語り合っているうちに、
次第に谷沢の顔はひきしまり、頬の色はよくなった。
つまり顔のに光彩が生じてきたのである。そして
一冊分になるほどの対談が終ったあと、谷沢はすっかり
健康人の如く、足どりも軽くなり、食欲も立派なものだった。
その時の対談のデキも悪くなかったことは、・・・・
10万部近く出て、今なお出ているそうだ・・・

専門の医者だって、対談中に顔に光彩が生じてくる
患者を目撃したことはなかろう。私は谷沢の症例を
持っているのだ。・・・」

はい。だからといって
懦夫である私が、起つかというと、そういかないのですが、
せめて、備忘録がてらの引用なら私にでもできる。
うん。この頃、本の文を思い出すこともなかったのですが、
昨日寝ていたら、なんの脈絡もなく、この解説を読み直し
てみたくなったのでした。

コメント (2)
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