和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

磯の方から満ち。

2020-10-24 | 本棚並べ
津野海太郎著「百歳までの読書術」(本の雑誌社・2015年)をひらく。
はじまりは

「3年まえに70歳をこえた人間としていわせてもらう
・・・・・
読書にそくしていうなら、50代の終わりから60代にかけて、
読書好きの人間のおおくは、齢をとったらじぶんの性にあった
本だけ読んでのんびり暮らそうと、心のどこかで漠然と
そう考えている。現に、かつての私がそうだった。

しかし65歳をすぎる頃になるとそんな幻想はうすれ、
たちまち70歳、そのあたりから体力・気力・記憶力が
すさまじい速度でおとろえはじめ、本物の、それこそ
ハンパじゃない老年が向こうからバンバン押しよせてくる。
あきれるほどの迫力である。のんびりだって?
じぶんがこんな状態になるなんて、あんた、
いまはまだ考えてもいないだろうと、60歳の私を
せせら笑いたくなるくらい。」

はい。これが、この本のはじまりでした。
うん。私はこれを読んでもう満腹感。
先へはすすめない、横着読み。
そういえば、と思い浮かんだのは、
小林秀雄著「考えるヒント」でした。
その中に、「青年と老年」という4~5頁ほどの文。
そこから、引用してみます。

「・・・兼好は、かういふ事を言つてゐる。
死は向こうからこちらへやつて来るものと皆思つてゐるが、
さうではない、実は背後からやつて来る。沖の干潟にいつ
潮が満ちるかと皆ながめてゐるが、実は潮は磯の方から満ちるものだ。

・・・死は向こうから私をにらんで歩いて来るのではない。
私のうちに怠りなく準備されてゐるものだ。
私が進んでこの準備に協力しなければ、
私の足は大地から離れるより他はあるまい。
死は、私の生に反した他人ではない。
やはり私の生の智慧であろう。
兼好が考へてゐたところも、
恐らくさういふ気味合ひの事だ。・・・・」

この文の後半は、堀江謙一著「太平洋ひとりぼつち」について
触れられておりました。文の最後を引用。

「この青年は、あたかもかう言つてゐるようだ、
世間は新事件と新理論を捜してゐて、
青年なぞ必要としてゐないのではなかろうか、と。」
コメント
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