和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

誰にも見せない。

2020-10-03 | 本棚並べ
新潮文庫の「心理療法個人授業」が、
やっと、本棚に見つかる。
先生が河合隼雄。生徒が南伸坊。
うん。この本の第9講「箱庭を見にいった」の
箇所がすっかり忘れていたので読み直してみたかった。
その最後に「先生の一言」がついているので、
そこからだけ引用してみる。

「今回は箱庭療法が取りあげられた。
南さんが箱庭をされなかったのは賢明である。
やはり、一対一で誰にも見せないことを前提にするから
意味があるものができるのだ(例外がないとは言えないが)。
人に見せるとか、面白半分とかでは、あまり意味のあるものはできない。

悩みの深い人は、表現せざるを得ないものをもってくる。
それが自然に出てくるのだから、迫力があるのも当然だ。
『むちゃくちゃな「アイデア」もん』と南さんは言っているが、
これを読者は誤解しないで欲しい。
何か素晴らしいアイデアがあって表現されるのでなく、
本人もわけのわからないX(エックス)が、箱庭のなかに姿を表してくる、
という方が適切な感じなのである。『出そう』として出てくるものではない。

ロールシャッハはむしろ、診断のために用いられるが、
箱庭療法はその作品を見ていろいろと判断するよりも、
それを作った人が、そのような創造活動によって自ら癒される、
という点が大切である。

どんな人でも自分の心の奥底に『自己治癒』の可能性をもっている。
しかし、それがどのようにして発露されるかが問題なのだ。
『箱庭』はそのような自己治癒の作用がはたらく『場』を与えてくれる。

とは言っても、そのようなことが生じる基礎として、
治療者とクライアントの人間関係があることを忘れてはならない。
ここが不思議と言えば不思議なところである。

治療者はたとい黙って見ているだけにしろ、どんな治療者か、
治療者とクライアントの関係はどうか、などの条件によって
治療の過程は変ってくるのである。

箱庭のこととなるとこちらが興奮して(?)、
言いたいことを一気に書いてしまった。これじゃ
『講評』にもなっていないが、南さんの文が
私をこんな状態にしたのだから、
やはり『関係』というのは大切である。」
(p154~157:p155には南さんのイラストも)

うん。第9講の「先生の一言」をけっきょく
全文引用してしまいました。
うん。分ったと思うさきから、すぐに忘れる。
この文庫本を、再読できてよかった。


コメント (2)
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