新潮文庫の「心理療法個人授業」が、
やっと、本棚に見つかる。
先生が河合隼雄。生徒が南伸坊。
うん。この本の第9講「箱庭を見にいった」の
箇所がすっかり忘れていたので読み直してみたかった。
その最後に「先生の一言」がついているので、
そこからだけ引用してみる。
「今回は箱庭療法が取りあげられた。
南さんが箱庭をされなかったのは賢明である。
やはり、一対一で誰にも見せないことを前提にするから
意味があるものができるのだ(例外がないとは言えないが)。
人に見せるとか、面白半分とかでは、あまり意味のあるものはできない。
悩みの深い人は、表現せざるを得ないものをもってくる。
それが自然に出てくるのだから、迫力があるのも当然だ。
『むちゃくちゃな「アイデア」もん』と南さんは言っているが、
これを読者は誤解しないで欲しい。
何か素晴らしいアイデアがあって表現されるのでなく、
本人もわけのわからないX(エックス)が、箱庭のなかに姿を表してくる、
という方が適切な感じなのである。『出そう』として出てくるものではない。
ロールシャッハはむしろ、診断のために用いられるが、
箱庭療法はその作品を見ていろいろと判断するよりも、
それを作った人が、そのような創造活動によって自ら癒される、
という点が大切である。
どんな人でも自分の心の奥底に『自己治癒』の可能性をもっている。
しかし、それがどのようにして発露されるかが問題なのだ。
『箱庭』はそのような自己治癒の作用がはたらく『場』を与えてくれる。
とは言っても、そのようなことが生じる基礎として、
治療者とクライアントの人間関係があることを忘れてはならない。
ここが不思議と言えば不思議なところである。
治療者はたとい黙って見ているだけにしろ、どんな治療者か、
治療者とクライアントの関係はどうか、などの条件によって
治療の過程は変ってくるのである。
箱庭のこととなるとこちらが興奮して(?)、
言いたいことを一気に書いてしまった。これじゃ
『講評』にもなっていないが、南さんの文が
私をこんな状態にしたのだから、
やはり『関係』というのは大切である。」
(p154~157:p155には南さんのイラストも)
うん。第9講の「先生の一言」をけっきょく
全文引用してしまいました。
うん。分ったと思うさきから、すぐに忘れる。
この文庫本を、再読できてよかった。