大庭みな子さんは、1930年生まれ。
1996年夏に脳出血と脳梗塞で倒れる。
河合隼雄の対談集をひらいていたら、本棚にある2冊に、
大庭みな子さんとの対談がありました。
ひとつは、1991年出版の鼎談本
鶴見俊輔・河合隼雄「時代を読む」(潮出版社)。
毎回ゲストを呼んでの3人での座談のなかに、
大庭みな子さんが登場しておりました。
この時は、大庭みな子著「津田梅子」を中心に
話が盛りあがっております。
もうひとつは、「続々物語をものがたる 河合隼雄対談集」
(小学館・2002年)に登場しておりました。こちらは、
大庭みな子さんとの対談日1998年7月8日と記載あり。
両方ともに感銘深いのですが、
ここでは、年齢に関する箇所が気になったので引用。
1冊目のなかで、鶴見俊輔氏が語ります。
鶴見】 詩を書く年齢というのがあります。2歳、3歳だったら、
口にする言葉が全部詩になっているでしょう?
・・・小説を書く年齢というのもある。
伝記を書く年齢もある。20代で書いた伝記はだいたいつまらない。
中年以後、初老というときになると素材を通して人間が動いてくる。
・・・・
河合】 ・・生きている。それは裏側をずっともって書いておられる
からでしょうね。通り一遍にいいことばかり書いてあるのとは違う。
それと、やはりご自分のことと重ねて書いておられるところが
すごく説得力があります。津田梅子と大庭みな子という個人を超えた
流れがあって、それがずっと流れているぞという感じが出ている。
そして、そういう流れをこの人は生んだわけでしょう?
・・・・
大庭】 私は書いていて津田梅子に何か乗り移られるような感じを
比較的もてたことがありました。そろそろ彼女が亡くなった年齢に
近づいておりますから。
河合】 編み物なんかされているんじゃないですか。
大庭】 そうなんです。(笑)
河合】 私は自分でものを書いているとき、
それは女の人の編み物と一緒やとよう言うてるんですけどね。
暇なときにちょこちょこっとやって、また暇ができたときに
ちょこちょこっとやって、つないだら一つのセーターぐらいに
なっている。
大庭】 そうなんですね。ところが、私ね、やっぱり
若いとき愚かだったものですから、編み物を軽蔑していたんです。
鶴見】 津田の学生で編み物をする人なんていないでしょう。
大庭】 いや、私はしてましたよ。若いときから。寮にいたころから。
(p215~216)
2冊目も、紹介しなくちゃいけないので、ここまで。
2冊目は、河合氏が口火を切っておりました。
河合】じつは、私は和歌はわからん(笑)
といってきたのですが、大庭さんが対談してくださるということで、
『伊勢物語』を読みました。和歌は苦手なんですが、
けっこうおもしろくて喜んでいるんです。
それに大庭さんの現代語訳(「わたしの古典
大庭みな子の竹取物語・伊勢物語」集英社文庫、1996年)が
すごく助けになりまして、これで鑑賞させていただきました。
・・・・・・・・・・
私は和歌にはほとんど関心がなかった。ところが
今年、古稀をむかえたのですが、これぐらいの年になると、
和歌がだいぶわかってきたのか、けっこうおもしろかったので、
たいへん感激しましたね。やっぱり和歌というものは
たいしたもんだと思いました。(p60~61)
こうはじまって、内容の濃い対談となっておりました。
うん。あんまり濃すぎて、伊勢物語の対談を引用するには、
わたしの手にあまりますので、ここまでといたします。