和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

たぎたぎしく(よたよた)なって。

2020-10-29 | 本棚並べ
大庭みな子著「空を追い」(小学館)に
「タギタギ」と題する5頁ほどの文は、
古事記からの引用からはじまっておりました。
引用のあとに、こう続きます。

「わたしがこの文章を読んだのは多分15、6歳のころだったろう。
いまわたしは夏以来脳梗塞で半身不随になり、まっすぐに立つことも
座ることもできない。そして、突然このタケルの台詞が生き生きと
甦ったのだ。タケルは脳梗塞で倒れたに違いないとわたしはほとんど
確信した。まあ、そうではないかも知れないけれどわたしの現在の
身体の状況は、実にその文章にぴったりなのだ。
―――わが足はタギタギとして三重に曲がり、得歩まず。―――
無理して一本の足で立とうとすればそういう身体の状態になる。
タギタギ、なんとリアルな表現だろう。
半分麻痺した足のさまそのものである。
わたしは今後日常的に疲れた足をひきずるとき、
どうしてもそのように表現をしたい。・・・・」(p52~53)

はい。この古事記の箇所を集英社「わたしの古典①」の
「田辺聖子の古事記」で、ひらいてみました。
うん。せっかくなのでその箇所を引用。

「倭建命(やまとたけるのみこと)は・・・
伊吹山の神を討ちに出ていかれた。・・・・

すると、山の神が激しく雹(ひょう)を降らせて、
倭建命を、打ちこらしめた。・・山の神の怒りを買ったのであった。

命(みこと)は、やっとのことで山を下られ、玉倉部(たまくらべ)の
清水に着いて・・そこから出発されて、美濃の当芸野(たぎの)のほとり
にお着きになったとき、命はしみじみと述懐された。

『私は今まで、元気な時は、空をも飛んでいこうと思うくらい、
いきいきしていたが、今は、病んで足も動かなくなってしまった。
たぎたぎしく(よたよた)なってしまった』

そうおっしゃったので、その地を名づけて、当芸(たぎ)というのである。
そこから少しばかり進まれたが、ひどくお疲れになったので、御杖をついて、
ぼつぼつと歩まれた。それゆえ、その地を、杖衝坂(つえつきさか)という。

・・・・そこからさらに進まれ、三重の村(四日市市采女町の旧名かという)
にたどり着かれたとき、いわれた。
『私の足は、三重に曲がったように、たいそう疲れてしまった』
そこでその地を、三重という。
そこからさらに進まれて、能煩野(のぼの・三重県鈴鹿郡か)に、
やっとお着きになったとき、もう一歩もお進みになれなかった。
なつかしい大和(やまと)は目前であるのに、
たどり着くことがおできになれない。
故郷をしのんで、倭建命は歌われた。

 倭(やまと)は 国のまほろば
 たたなづく
 青垣(あをかき) 山隠(やまごも)れる
 倭し 美(うるほ)し

・・・・・・」(p168~171)

うん。大庭みな子さんの「タギタギ」の文のはじまりも
引用しておかなきゃね。

「古代の英雄、ヤマトタケルは東征ののち三重県の当芸野(たぎの)
まで来てついに力つきて倒れた。その時の台詞には

『吾が心、恒(つね)に虚(そら)より翔(かけ)り行かむと
念(おも)ひつ。然るにいま吾が足得歩(えあゆ)まず、
當藝當藝斯玖成(たぎたぎしくな)りぬ。』とある(古事記)。

そして彼は地に倒れその地を人は当芸(たぎ)と名付けた。
さらに三重の村に来ると
『吾が足は三重の勾(まがり)の如くして甚(いと)疲れたり。』
と述べ、その地を三重と名付けたとある。」(p52)
コメント
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