和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

江戸時代の、安倍ロス。

2020-10-01 | 本棚並べ
野党が、いわゆるモリ・カケ・サクラ問題を、
安倍首相にむかって、コロナ禍を脇におきながら
とりあげていたのは、唖然とさせられたのでした。

それなのに、まだ、桜の花見の問題を追及すると
野党が発言しているので、これはどうなるのでしょう?
森友・加計事件は、野党は間違いを認めたのだろうか。

それはそうと、
花見の会に大勢を招待して、出費問題をあげつら指摘は、
なにやら、江戸時代の田沼意次の時代を彷彿させます。

織田正吉著「笑いとユーモア」(ちくま文庫)から引用
してみます。

「たとえば、賄賂政治で落首が氾濫した明和天明の田沼意次の
時代に、田沼をまいまいつぶり(カタツムリ)に見立て、

ーーーこの虫常(つね)は丸の内にはひ廻る 皆人銭出せ金だせ
 まひなゐつぶれといふ(まひなゐは賄賂のこと)

といい、田沼意次の子・意知が殺害されたときには、
 
 金とりて田沼るる身のにくさゆへ 命捨ててもさのみをしまん

など江戸市民のあいだから出た無数の落首が田沼攻撃しているのに、
田沼が失脚し、あとを襲って老中に就任した松平定信がいわゆる
寛政の改革に乗り出すと、

 白河の清き流れに魚住まず 濁れる田沼いまは恋しき

という落首があらわれる始末です。
白河というのは白河楽翁(松平定信)のことで、
田沼の縁語になっています。あれほどさんざんに
田沼を批判した落首が、もちろん同一の作者ではないにせよ、
無節操、無定見に主張を変え、田沼時代のほうがいいというのです、
これが、時事コントや政治漫画などが体質として持っている
大きな欠点です。前後の見とおしも、真実を見ぬく目もなく、
ただそのときの多数がかもし出すムードに便上して、
鬱憤を晴らしているにすぎません。
 ・・・・・・・・
日本では、なぜか『諷刺性があるかないか』で笑いの価値を
判断する習慣があります。この種の笑いの価値は諷刺性の有無に
あるのではなく、諷刺の質によることはいうまでもありません。
・・・・」(p54~55)

はい。以前にこの箇所を引用したことがありました。
ですが引用したくせしてすっかり忘れておりました。
まったく、すぐに忘れます。
どうやら、野党は他国から攻められてからでないと、
憲法問題も、手をつけてはならないらしい。
憲法改正を掲げた安倍晋三氏が、首相の座を降り、
安倍ロスが、これから明らかになりますように。
コメント
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