和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ついでながら。

2020-10-30 | 本棚並べ
本棚から谷沢永一の本を数冊とりだす。
お気楽に読める対談集をひらくと、
司馬遼太郎著「ひとびとの跫音(あしおと)」を
話し合っている箇所がありました。

木場】 正岡子規は・・・。

山野】 「ひとびとの跫音」ですね。

木場】 あれは小説を呼んでいるような気になりますね。
    ところが小説ではない。

山野】 いわゆる小説ではないですね。

木場】 エッセイでもない。しかしドラマになっている。

山野】そもそも、ジャンルで分けようとすると、
   暖簾に腕押し、途方にくれるのが司馬さんの世界です。

谷沢】「ひとびとの跫音」は既成概念における小説家からは外れています。

木場】しかし、読むとすごいドラマを見終わった感じがします。

山野】司馬史観とか、パノラマ――鳥瞰史観といわれますね。
正体不明の言葉ですが。「ひとびとの跫音」はそれに対するひそかな、
しかし確固たる異議申立てではないですか。「そんなにおっしゃるなら
地べたを這って人間を見る手並みを披露しましょうか」と。

谷沢】司馬さんははみ出すんです。「空海の風景」も、
小説かどうか、判断が難しい。

山野】好ましき逸脱の人、という感じがありますね。
作品によく出てくる名文句の『ついでながら』。
あれも文章の中での好ましい逸脱と思うんです。

谷沢】あれが出てくるので、一部の人は頭から反撥する。
ああいうことは小説の中で言うべきでない、という牢固たる
純文学の観念があるのです。日本に限りませんがね。・・・・


(p93~94)本は
谷沢永一著「本音を語る① 人たらし」(バンガード・1998年)
対談相手は、木場康治・山野博史。

はい、私は「空海の風景」未読です。
   



コメント
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