和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

京からの手紙。

2020-10-02 | 手紙
もっぱら、安い古本がたまっております(笑)。
うん。系統だった本の購入でなく、場当たり的。
その一冊に、
「古典の森へ 田辺聖子の誘(いざな)う」(集英社・1988年)
がありました。新聞に月一回の連載で、おしゃべりを工藤直子さんが
書き留めたものだそうです。この本に枕草子が出ておりました。

そのはじまりは、
「私は『枕草子』を読んでいて【ああ、女だなあ。女なればこその、
ものの見かた、発想だなあ】って感じるところが、じつに多いのね。
だから、私は『枕草子』をこう読んだ、という思いを軸にしたものを
書きたいと、清少納言を主人公にして、『むかし・あけぼの』という
小説を書きました。」(p68)

うん。『むかし・あけぼの』という小説を書かかれたようです。
はい、小説は私は敬遠する方なので、それについてはノーコメント。

聖子さんのおしゃべりは続きます。
ひとつ面白いなあと、印象に残った箇所はここでした。

「『すさまじきもの』のところで
『人の国よりおこせたるふみの物なき』というのがあります。
【地方から、こちらに送って寄こしている手紙に、贈り物が
ついていないの】というのね。
手紙だけくれて贈り物がないのはシラケル、と。これも貴重な財源
だったのかな、かなり現実的な、欲深いことをいっていますね(笑)。

それでいて京から送るのは手紙だけでいい、なんて、
あつかましいのね(笑)。なぜかというと
『それはゆかしきことどもを書きあつめ、
世にある事などをもきけばいとよし』というわけ。
つまり、京からの手紙には、地方で知りたいことを書き集め、
世間の出来事をも聞くのだから、それでよろしい、と。
品物に見あうだけの情報が入っているのだから、
なにも添えなくていい、と。なかなか頭(ず)が高いんです(笑)。
・・・・」(p72~73)

うん。なかなか、現在の情報社会を先取りしているなあ。
と思ってしまう箇所です。よく正直に書いておられる。

そういえば、徒然草の第117段が思い浮かびます。
その段は「友とするに悪(わろ)き者、七つあり。」
とはじまり、箇条書きに手短にかかれたあとでした。
「よき友、三つあり。一つには、物くるる友。
二つには医者(くすし)。三つには、智恵ある友。」
としめくくられておりました。

それでは、吉田兼好さんは、
物くるる友に、お返しの物を差し上げたのでしょうか?
あるいは、清少納言のように情報を提供していたのでしょうか?

枕草子でいうところの
『ゆかしきことどもを書き集め・・・』
その書き集められた集大成が、枕草子あり、
また、徒然草でもあったのでしょうか?

コメント
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