集英社「わたしの古典」全22巻のうち、
大庭みな子さんの担当が2冊ありました。
③「大庭みな子の竹取物語/伊勢物語」
⑲「大庭みな子の雨月物語」
⑲の「わたしと『雨月物語』『春雨物語』」
は6ページで、他の巻より長めです。そこには
「・・・もともとこの企画の最初の段階では、
『雨月物語』は円地氏が手がけるはずのものだったが、
病で倒れられたので、後輩の私が引き受けることになった
といういきさつがあった。
その意味でも、今度、自分で秋成にとり組んでみたことは、
円地氏の思い出に重なって、作家としての私の世界を
大きく深く掘りさげてくれたものといってよい。」
「『樊噲(はんかい)』は『春雨物語』の最後の作品だが、
故円地文子(えんちふみこ)氏が亡くなられる間際に
心を残していらっしゃった。
『あれは、よい作品です』と、円地氏は
病院のベッドで、私の手を握りしめて呟かれたが、読み直し、
一語一語を辿るうちに、なるほどと頷ける傑作である。
大悪人がふとしたことで発心する話だが、
結びの表向き、たてまえの説論口調はとるにたりないところで、
それよりは文中のなにげない描写の中に、生暖かく、
ふうっと舞い上がるような息づかいがある。
生きものの酷薄な哀しみに通ずる、宗教でも哲学でもないけれど、
ほとんどその深みにまで到達している文学作品で、
秋成の晩年を飾るにふさわしい作品である。
・・・・・もちろん、読者は作品の良し悪しよりは
好みによって読むのがよいと、私はつねづね思っているから、
一つ一つの作品にランクづけするような評価は避けたいと思う。
読者にとって、解説者の言うことは参考になる意見にすぎない。
文学作品は、それぞれの人生を生きた人が、それぞれに自分の力で
学びとった感性に重ねて自由によむがよい。また、
秋成自身、古典をそのような態度で読んでいた人のように思える。」
うん。こんな風に言われると、つい読みたくなりますが、
それはそうと、③の「わたしと『竹取物語』『伊勢物語』」
からも引用しておきます。こちらは2頁。
ここには、伊勢物語を説明した箇所。
「『伊勢物語』は在原(ありはら)の業平(なりひら)の歌を
中心に、次々とその周辺の人びとが筆を加えて、現在一般に読まれ
ている125段の形になったものと言われている。・・・
現在の形よりはるかに短かったに違いない業平自身の草(そう)に
なる歌物語めいたものが、ごく素朴な形で初めにあったとしても、
それは、歌を贈ったり、返されたりする対になる歌の場合、当然、
片方の歌は業平のものではない。返しのないものもあるが、
いずれにしても、そこに表現されているものは、業平という
一人の人物と、他の人物、または彼をとりまく状況の中から
ひき出されたものなのだ。つまり、ひとつの言葉に触発されて
ひき出された新しい言葉が加わることこそが、
言葉が生きつづけるさまなのである。・・・・」
どちらも、これだけで私は満腹。
なので、ここまでにします。