新刊で買っておいて、
安心してそのまま読まないであった本が出てくる(笑)。
大庭みな子著「雲を追い」(小学館・2001年)。
帯は、加賀乙彦氏が書いていて、そのはじまりは
「脳梗塞で半身不随になったみな子さんは、
文章の世界で見事に立ちなおった。・・・」
とあります。
買ったのに、そのままに本棚に眠っておりました。
あとがきは、こうはじまっておりました。
「1996年の夏、脳出血と脳梗塞で倒れる半年ほど前から
小学館の『本の窓』に連載し始めて、中断はあったが
いつの間にか一冊の本になるくらいのものが溜まったので
・・・・」
うん。最初の方、倒れる前の文章をパラパラとひらくと、
「おみくじ」と題する文がある。そこを紹介。
「師走に入ると、観光の街・京都もさすがに人影が
めっきり減り・・・・」とはじまります。
5頁ほどの文の最後は、
「どういうわけか最近目にする生きものの仕草や、耳にする
生きものの立てる声はそのまま人間のものになってしまう。」
としめくくられております。
さて、大庭みな子さんは、上賀茂神社へ行かれたようです。
そこで若い二人が登場しておりました。
「お互いの腰に手をまわした若い恋人たちが、
みたらし川のほとりでおみくじをのぞきこんでいる。
『あらあ、凶だよう。じゃだめだ』
『ばか言うな、何がだめなんだ』
青年は天に向って凶を空に放つように
高らかに読み上げて自説をも添えた。
『〇願いごとは叶わず ――ふん、願いごとはなし。
〇待人来たらず ――
待っている奴なんかここにいる人以外にないから関係なし。
〇遺物出ず ――失ったものはなにもない。
〇賣買ともに元手を失うことあり ――賣買はする気ないからよし。
〇病いはないから治らずともよい。
〇方角は西北東北がいいってさ。
〇家造りも引越しも縁談も奉公も旅行も当分あてはないから大丈夫。
凶はカラスが持っていけ。山の火事場で焼いとくれ』
恋人たちは鳥のように囀(さえず)りながら、
おみくじをみたらし川の枝に引き結んだ。・・・・
いつか何かがあったとき、彼らはこのときのことを
いろんなふうにあてはめて思い出すかもしれない。
全然反対の吉事が起ったときでも、べつのようにこじつけて、
やっぱり、と頷(うなず)くのではないだろうか。
そして、わたしは辻占いとは、こういう人の鳴く声を、
木陰に佇(たたず)んでじっと聞きとり、自分の辿って来た
道の情景を、そしてまたはるばるとゆく道の姿を想い描いて
呟く、鳴く鳥の声に似た歌なのであろう。」
こうして、文の最後へとつながっておりました。
「 カアラス カアラス カンザブロー
凶ノオミクジ 持ッテユケ
オ山ノ火事デ ヤイトクレ
口ずさんだ自分の声は先刻聞いた鳥の声に似ていた。
どういうわけか最近目にする生きものの仕草や、
耳にする生きものの立てる声はそのまま人間のものになってしまう。」
(P16~20)
はい。19年前に買ってあった本に、
やっと、たどり着いた気がしました。
これから本は、脳梗塞の後の文へと
つながってゆくのですが、私はここで満腹。