和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『祭の終りの光景』

2022-06-04 | 古典
島内裕子校訂・訳『徒然草』(ちくま学芸文庫・2010年)。
はい。手にしました。パラリと、まずは第137段をひらく

「 花は盛りに、月は隈なきをのみ見る物かは。
  雨に向かひて月を恋ひ、垂れ籠めて春の行方知らぬも、
  なお、哀れに情け深し。
  咲きぬべき程の梢、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ。
  ・・・・・・    」  (p267)

はい。これがはじまり。第137段のおわりは、どうだったか?

「 兵(つはもの)の、軍(いくさ)に出づるは、
  死に近き事を知りて、家をも忘れ、身をも忘る。

  世を背(そむ)ける草の庵には、
  静かに水石(すいせき)を翫(もてあそ)びて、
  これを余所に聞くと思へるは、いとはかなし。

  静かなる山の奥、無常の敵(かたき)、競ひ来らざらんや。
  その死に臨める事、軍(いくさ)の陣に進めるに同じ。 」
                      (p269)

この文庫は各段の原文・訳・評と並びます。
島内裕子さんの訳と評とを引用してみます。

「 桜の花は満開の時、月は満月だけが、見るに価すると
  決め込んでしまってよいものだろうか。そうではあるまい。

  雨が降っている時に、ああ、月を見たいと恋しく思い、
  病気で部屋に閉じ籠もって外出ができず、
  春景色の移ろいもわからない、といった状態でも

  月や花に憧れるその心持ちがかえって情趣深いのだ。
  だから、もうすぐ花が咲きそうになった梢、
  桜の花が散り敷いている庭などこそが、むしろ
  見所が多いと言ってもよいくらいだ。         」


はい。さいごの箇所も訳してあります。

「 武士が戦場に向かう時は、死が近いことを知って、
  自分の家のことも忘れ、自分自身のことも忘れる。

  それでは、遁世者はどうだろうか。
  俗世間を背いて、草庵で静かに水石を弄んで、
  自分だけが死の到来から遠く離れているような
  気になっているとしたら、たいそうはかないことだ。

  閑静な山奥にも、
  死という最強の敵がやってこないことがあろうか。
  死というものは、人間がどこに暮らしていようと、
  確実に襲いかかってくるのであって、
  山奥の草庵暮らしといえども、死に直面している点では、
  武士が戦場を突き進んでゆくのと同じであって、
  変わることはないのだ。    」( ~p275 )


うん。島内裕子さんの『評』も、忘れずに引用しなくちゃ。

「 徒然草の全体を通して、最大・最高の章段である。 」

島内さんは『評』を、この言葉からはじめてるのでした。
そのあとは、ところどころ抜き出して引用しておきます。

「 さて、兼好の時代からようやく百年後、室町時代の
  歌人・正徹(しょうてつ・1381~1459)が、

  はじめて徒然草から原文の一部を引用して、
  徒然草という作品の存在を文学史に刻印した時、
  正徹が引用したのが、この第137段の冒頭の一文だった。 」

うん。島内さんの『評』は、ここでカットするのが惜しいので、
この章だけで終りますが、もう少し引用を続けさせてください。

「 ここで兼好は、花や月の美しさ、恋愛の情趣は
  どのように賞玩したらよいのか、という問題提起を行っている。

  そして何ごとであれ『良き人』たる教養人は、
  対象と距離を置くことによって、むしろその本質や
  価値に肉薄していることに注意を喚起し、
  逆に対象に近づけば近づくほど、そのものを
  損なうことを述べて、その解答としている。
  花見や雪の足跡、葵祭見物などの具体例の提示が鮮やかである。

   ・・・・・・・・
  賀茂祭では、行列だけを見るのではなく、
  祭当日の明け方から夕暮れに到る一日の情景の変化を
  『余所(よそ)ながら見る』べきであるという趣味判断から、
  この世の無常の認識へと、思索が飛翔するのである。

   ・・・・・・・・・
   ・・・・・・・・・
  兼好は、実にさまざまなことを、さまざまな観点から描き出す。
  テーマを絞らないという、最初の方針がいかに賢明であったか、
  徒然草を読み進めるにつれてよくわかってくる。なぜなら、

  一旦ある思索から離れて、その思索が再び心にもどってくるまでの
  自由な時間を与えることによって、さらなるおのずからの思索の
  広がりと深まりが付加されてくるからである。・・・」
                        (~p277)

ここまで引用してくると、この同じ章を、
沼波瓊音はどう評していたのか気になる。
この章を評した最後でした。

「 祭の終りの光景、よく其の感じが出て居る。
  私は幼少の折『物のあはれ』と云のをも感じたのは
  全く、東照宮の祭禮の終る頃の心持であった。

  これは誰でも経験があろう。
  其土地の祭の終りのあはれさは、
  幼き者をして、泣く以上の悲哀を覚えさせるものだ。

  兼好はこの心から無常観を強められて来た。
  『世の人かずもさのみは多からぬにこそ』と
  云事を観じたところは、必ずしも合理的では無いが面白い。」

   ( p378 沼波瓊音著「徒然草講話」東京修文館・大正14年 )
   ( ちなみに、私が買った古本は、昭和25年発行のものです。)


コメント (4)
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