佐藤忠良氏の対談の言葉に、
「 彫刻って触覚が何より大事な仕事なんです。
コンピューター全盛の時代でも我々彫刻家は、
先人が腰蓑(こしみの)つけていたのが、
背広にネクタイつけるようになっただけの違いで、
相変わらず粘土をこねているーーでも、
文化って、そういう触覚感が大事なんですよ。 」
( p22 「ねがいは『普通』」文化出版局 )
( p26 「若き芸術家たちへ」中公文庫 )
この言葉のすぐ前に、佐藤忠良氏は、安野光雅氏に語っています。
「 我々若いとき、一生懸命、手紙書いたでしょう?・・・ 」
うん。この箇所が気になっておりました。
粘土をこねるように、手紙を書いていた。
ということで、手紙が思い浮かびました。
安かったので購入して、昨日届いた古本に
矢野誠一著「昭和の東京 記憶のかげから」(日本経済新聞出版社・2012年)
がありました。矢野誠一氏の本ははじめてです。
ひらくと、この方は「東京やなぎ句会」の一員とあります。
それはそうと、パラリとひらくと、
『諸先輩からの手紙』(2010年7月)という2ページの文がある。
そこから、端折って引用することに。
「 パソコンも使わないから、
原稿は万年筆で原稿用紙に書くし、
電話で意の通じにくい連絡、
献本や贈答品のお礼は、もっぱら郵便を利用する。
これで、日本国憲法で保障されている。健康で文化的な
最低限度の生活を営むにあたって痛痒を感じたことはまったくない。」
うん。短い文を、さらにブツ切りにしてゆくと、
つながりが、つかみにくいでしょうが続けます。
「 文豪と呼ばれる作家の日記や書簡を読むのが好きで、
その『日記・書簡集』というのがほしさに、
全集全巻購入してしまうなんてことがあったが、
世のなかからこう手紙を書く習慣が失われては、
そんな楽しみも日記だけになりそうだ。
古書展などで見かける著名人の葉書や書簡の文面に、
単純な用件しか記されていないのが意外に多いのは、
ケータイはおろか電話そのものがそれほど普及して
いなかった時代を物語るものだろう。 」
「 筆まめだった戸坂康二、中村伸郎、木下順二などの
諸先輩からはずいぶんとお手紙を頂戴したが、いま
思いかえして大切な用件の記されたものはほとんどなかった。
中村伸郎さんからは、胸うたれるような書簡をいただく一方で
『 グレースケリーが女優をやめるのを、
しつこく反対したのはヒチコックだそうだ 』
とだけ記した葉書も受け取っている。
師戸坂康二は、封筒のあて名のわきに『閑信』と記し、
『シラノ・ド・ベルジュラック』の『シラノの週報』の
ような手紙をくださった。・・・・・ 」
( p134~135 )
はい。粘土をこねるようにして、『閑信』を書いている。