和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ここが、徒然草序段の眼目。

2022-06-17 | 古典
本棚から「ことだま百選」(講談社・2014年)をとりだす。
うん。たしか新聞書評かなにかで、買った一冊でした。
東京都杉並区天沼中学校編となっております。

カバーの折り返しには紹介文。それを引用。

「東京都杉並区天沼中学校の取り組み。
『言葉こそ人間関係の基礎』という考えのもとに
 藤川章校長が発案し、国語科の川原龍介教諭らが
 名文・名句をまとめたものが、
 2013年4月に『言霊百選』として冊子化されました。
 ・・・・・ 」

「はじめに」の前ページに、古今和歌集の仮名序が載せてあります。
うん。引用。

「 やまとうたは、人の心を種として、
  万(よろず)の言(こと)の葉とぞなれりける。
  世の中にある人、ことわざ繁(しげ)きものなれば、
  心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、
  言ひ出(いだ)せるなり。  」

はじまりの「ことだま1」は、いろは歌でした。

「 色はにほへど 散りぬるを
  我が世たれぞ 常ならむ
  有為の奥山  今日越えて
  浅き夢見じ  酔(ゑ)ひもせず  」

徒然草序段はというと、「ことだま59」にありました。

「 徒然なるままに、日暮らし、硯に向かひて、
  心にうつりゆく由無し事を、そこはかとなく書き付くれば、
  あやしうこそ物狂ほしけれ。 」


うん。島内裕子校訂・訳「徒然草」(ちくま学芸文庫・2010年)から
この序段の現代語訳と評とを引用してみることに。

まずは、『評』にある「序段の眼目」から

「・・ただし当時(江戸時代)は、この序段と、次の第一段を
 一続きにして、『第一段』とする本もあった。けれども、
 冒頭の一文を独立させて序段とすることが

 そのまま、徒然草という作品自体の生成と展開を
 的確に指し示すことに気づくことが、重要である。

 『心にうつりゆく由無(よしな)し事を、そこはかとなく』
 書くことは、例えば、恋愛とか、旅とか、戦争とか、滑稽譚とか、
 テーマを決めなくても、執筆できるという新しい文学宣言だった。
 ここが、序段の眼目である。  」


さてっと、「ことだま百選」は、中学生が声を出して覚える暗唱を
『天沼検定』として実践されていることが最後に書かれております。

「天沼検定は、言霊名人になれば通知表で『5』がもらえる、
 というようなものではありません。
 そのため、教師の間では、生徒がやる気をもって
 取り組んでくれるか、不安もありました。
 ところが、その不安は杞憂(きゆう)に終わりました。 
 ・・・    」(p123)

うん。ここは、もうすこし具体的に紹介したくなるのですが、
ここまでで、カット。
最後には、島内裕子さんの徒然草序段の現代語訳

「 さしあたってしなければならないこともないという
  徒然の状態が、このところずっと続いている。

  こんな時に一番よいのは、心に浮かんでは消え、
  消えては浮かぶ想念を書き留めてみることであって、

  そうしてみて初めて、みずからの心の奥に蟠(わだかま)って
  いた思いが、浮上してくる。

  まるで一つ一つの言葉の尻尾に小さな釣針が付いてるようで、
  次々と言葉が連なって出てくる。

  それは、和歌という三十一文字からなる
  明確な輪郭を持つ形ではなく、
  どこまでも連なり、揺らめくもの・・・。

  そのことが我ながら不思議で、
  思わぬ感興でのおのずと筆も進んでゆく、
  自由に想念を遊泳させながら、

  それらに言葉という衣装を纏(まと)わせてこそ、
  自分の心の実体と向き合うことが可能となるのではなかろうか。」
                     ( p17 )
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